小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

保健室の先生

先日、知り合いの養護の先生(Aさん)と話す機会があったのですが、私が「Aさんっていかにも〝保健室の先生〟って感じ」と言うと、「それってどんな感じ!?」と当然のようにつっこまれたので、「一緒にいると、何だか〝ほっ〟とする感じだよ」と答えたんですね。


私は、小学生の頃、「保健室」をどこか聖域のように捉えていて、何かあると逃げ場として使っていました(要は仮病を使って保健の先生に会いに行く)。
教員になってからも、私が最初に勤めた学校の保健の先生は私と同じく、大学を卒業してすぐ養護教諭として採用された、年も同じ同期だったのですが、やはり「ほっ」とできる雰囲気があって、どうにも頼りになって、生徒が帰った後は自分もよく保健室へお邪魔して癒してもらいました。←成長がない
つまり、うまくは言えないのですが、私にとっての「保健の先生」は、特に何もしなくとも一緒にいるだけで癒しをもらえる素敵な存在、という印象が強いのです。


それでその話を冒頭のAさんにしたところ、彼女は、他の先生はそうかもしれないけど、私は割とビシバシ子どもと接しているし、授業が嫌で保健室に来た子なんかすぐに教室へ帰しちゃうよ、だからウザがられていると思うよ~と笑っていました(絶対にそんなことはないはず)。


個人的には、すぐ教室に帰そうとするとかしないとかは、あまり問題じゃないんですよね。勿論、そういう基準で「あの先生は好きor嫌い!」を判断する子もいるとは思いますが…。


私が小学校低学年の頃、最初に好きになった保健の先生は、年配の女の方だったのですが、それはそれは子ども達に絶大の人気を誇る、とても優しい先生でした。いつもにこにこしていて、穏やかで、保健室は大盛況(笑)。休み時間のみならず、授業中にもやってくる子がいっぱい。私もそのうちの一人だったわけですが、今思うと、あの状況って、先生はさぞかし大変だったと思います。きっと担任の先生からは「サボらせないで教室へ戻して下さい!」と言われていただろうし、もしかしたら、「いいよな~保健の先生は、ただ優しく子どもの話を聞いてあげるだけでいいんだから」なんて陰口も叩かれていたかもしれない。


…というのも、今だからそんな風に思うのですが、ある時を境に、その先生がやたらとみんなを教室に帰そうと「変わった」時期があったんですね。これまでは、明らか仮病だろうお前は…って子(私・笑)に対しても、視線を同じくして「どうしたの、何かあったの」ってまず話を聞いてくれようとして、とりあえず「座らせてくれた」し、例え熱がなかったとしても、「きっと~だから疲れちゃったのね」という風に、ゆったりした雰囲気で、何かしらの理由付けをして気遣ってくれていたのです。


ところが、まぁ私が「保健室へ通いすぎた」というのもあるかもしれませんが、その「変わったな」と感じた時期から、先生はあからさま困ったような「また来ちゃったよ、この子」というような態度を隠さず、熱も測らずに、「あとちょっとで授業も終わるんだから、我慢できないの?」というように言って、私だけでなく、これまでの常連たちもバンバン保健室から追い出すようになったのです。
当然のことながら、子どもはショックを受けるわけで、「何だよ~!」と文句を言う子もおりました。私も悲しい気持ちはしたのですが、何でしょうね、寂しかったんですかね(笑)?その後も懲りずに、結構保健室へは行っていたんですね。


で、ある時、本当に寒気がして具合が悪くなったことがありました。
しかし、完全にオオカミ少年なわけですが、ブルブル震えながら保健室へやってきた私を見ても、先生はまたしてもすぐさま教室へ帰そうとしたんです。「何かやりたくないお勉強があったんでしょう?ダメよもう」なんてきっぱりと「サボり」を示唆するような台詞まで吐いて…。←自業自得
しかしこの時は本当にやばかったので、私も「いや今日は本当…」とか何とか言ったんだと思います(笑)。食い下がると、先生は不審に思ったのか、私の首筋に両手を当ててみて、「あ…本当だ」と言ったのです。
私は、首を触っただけで私の不調が分かるなんて、やっぱり先生はすごいな~と感動したのですが(かなりの高熱だったと思われます・笑)、そんな風に、あ~良かった、先生に疑われたのはショックだけど、真実を分かってもらえたよ~と思う私に、先生は慌ててベッドへ行かせてくれて、預かってくれているおばさんの家へ連絡してくれたのでした(当時、両親が共働きで、何かあっても迎えには来てもらえないので、遠い知り合いの方にいろいろ頼んでいた)。


帰り際、先生は私に「ごめんね」と言いました。
その時は実感がなかったのですが(それどころではない)、後から、先生は私を疑ったことを後悔しているんだなというのは、子ども心にも分かりました。


そして、それ以降、私は保健室へ行かなくなりました。
当時の気持ちはもうよく覚えていませんが、その出来事があってから足が遠のいたことは確かです。別に先生のことが嫌いになったから行かなくなったわけではありません。先生はそう感じてしまったかもしれませんが…。違うんですよ、先生(ここで言っても届かない)。
現に、それからまもなくして先生は違う学校へ異動となり、新しい養護の先生が来た時、ひどくガッカリして、友だちと、「〇〇先生の方が優しかったよね~」などと残念がってよく話題にしたものです。


新しい養護の先生は、今思うと凄く笑えるのですが、同じ「年配女性」というのは変わらないのに、前の先生とはまるっきり真逆の、氷のように冷たい雰囲気をまとった超クール!!な先生でした。とにかく素っ気ない。もちろん仮病は断固として許さない(笑)。私は行っていませんでしたが、常連が「すぐ追い出される」とよく文句を言っていましたし、明らかに以前の盛況だった保健室とは雰囲気が変わりました。
はぁ~?具合悪い~?ちょっとくらい耐えなさいよ、何を甘えてんのあんたは?…というような感じで、とにかく要点しか述べないし、必要最低限以外の会話を子どもとしようとしない、そんな先生。


当然のことながら(?)、すこぶる評判は悪かった。
ですが、私はあの出来事以降、保健室には本当に用事がある時以外行かなくなっていたので、その先生のことは単純に人として興味が高かったというか、「先生ってサバサバしていて面白いね」という素直な感想が先にあり、嫌いではなかった。具合が悪い時に行けば優しかったし、ぶっきらぼうだけど、心配してくれているのも分かったし。また、私は修学旅行の時に高熱を出して、この先生と一緒の部屋で眠ったという思い出があるので、恐らくは他の子たちよりこの先生の人間味に触れる機会があったので、あの時の大好きだった優しい先生とは全然違うんだけれど、この先生も好きだったな~と懐かしく思い返します。
タイプはまるで違うけれど、どちらも魅力的な先生。


つまり、見るに明らか「優しい」からとか、「保健室にいさせれてくれるから」で私は保健の先生の好き嫌いを判断していなかったわけですが、どちらの先生も、やり方は違えど、自分のことを想ってくれていたのは伝わっていたから、先生というより、人として好きだったんでしょうね。
保健室の先生って、「そういうの」を感じやすい立場の人、とも言えるかもしれません。どうしても、教室にいてずっと一緒の担任の先生や学年の先生方などは、「勉強を教えてくれる人」という立ち位置から逃れられないし、「先生色」が強くなる(当たり前…)。ところが、保健の先生は、同じ学校にいながらにして、「勉強」とは切り離されたところにいる別の存在、というイメージが先に立つので接しやすく、その人となりも感じやすい…のかもしれません。勿論、私が接した保健の先生がどちらも素晴らしい方だったから言えることですが。


学校の先生以外の「先生」が同じ校舎内にいるって本当にありがたいですよね。そういう意味では、スクールカウンセラーさんや事務職や給食スタッフさんもそうだと思うのですが、そういう方たちが子どもたちと接する機会がもう少しあると、子どももいろいろな角度からいろいろな大人を見る経験ができて良いのになぁ…と思う夏の終わりでした。


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