皆勤賞
今朝、テレビの某ワイドショーで、各学校や幼稚園では「皆勤賞」を廃止するところが増えている、というニュースを見ました。もともとそういう意見が多くなっていたところに、このコロナ禍がその動きを加速させたそうです。
皆勤賞が欲しいばかりに「ちょっと具合が悪い」「いつもより熱がある」「いっそはっきりと高熱である!」のに、「無理矢理」登校する子がいる=問題だ、ということですね。
……別にコロナ禍じゃなくても休もうよ……というか、そんな時に学校行ったらダメだぜ……余計悪化して治りが遅くなるし、クラスメイトや先生にその風邪をうつしたら迷惑でしょ……と、多くの人は思うわけで、だからこそ、その迷惑を助長しかねない「皆勤賞なんて要らない!廃止しよう!」という流れなのでしょう。
うーん、確かに、いましたね。はっきりと年度の目標を皆勤賞と決めて、「絶対に学校休まないぞ!」と固い意思で頑張っていた子。ごん塾長の小学校時代にも何人かいました。
そんな目標はハナから持てない、学校大嫌い人間の塾長にしてみたら、「何て壮大な目標を掲げるんだ…」と尊敬の眼差しで見ていたものです。←絶対そんな目標は立てない
学校を1年間のうちで1回も休まないって、並の所業じゃないですよ??
別に学校嫌いではない、普通だったり、好きだったりする子だって、どんなに気をつけていても風邪をひくことはあるだろうし、たまたまお腹が痛くなったり、ちょっとしたヤンチャで、或いは遊んでいる最中にケガをすることだってあるかもしれない。
そんな数々のハプニング(?)を乗り越えて、奇跡のように1回も学校休まないで1年通いきれたとしたら、そりゃ~凄すぎる!表彰くらいしたろ!ってなるのも道理なわけで、塾長は「そういう意味」としてしか皆勤賞を見ていませんでした。つまり、今回のような議論が成されていることを、恥ずかしながら知りませんでした。
「ちょっと具合が悪くても皆勤賞欲しいから行く」という子がいるのは、このコロナ禍ではまず過ぎるから(⇒はっきり言って迷惑・爆)、「だから皆勤賞をなくす」というのは、何とも不思議な気がしたというか、驚きます。
だって具合が悪いなら休むのが「当然」なのに、それを当たり前と思っている人が少ない、だからこそ、賞そのものをなくしてしまえば良い…ということなのでしょうから。
ごん塾長の思い出の中でも、確かに「絶対〝頑張って〟取りたい」って子がいましたけれど、そのうちの何人もが、やはり途中で風邪を引いたりして休むことになり、「くそー!皆勤賞があー!」と悔しがっていました。つまり、普通に休んでいました。当然ですが、本人が行きたいと言っても親御さんが行かせなかったわけです。
皆勤賞は立派な目標だけれど、具合が悪いなら休む、当たり前です。別にコロナ関係なく休む。インフルエンザの時だって休むじゃないですか。それが「皆勤賞」が関わってくると休めなくなるのは何故!?いや親御さんとしても、「折角の目標だから達成させてあげたい、ちょっとくらいなら…」という気持ちがわいてしまうのかもしれませんね。賞を取るために学校行っているわけじゃない、これも当たり前のことですし、皆勤賞なんて結果としてついてきたおまけみたいなもの、それも分かっている、でも!あと少しなのに!…そんな気持ちになるのかも。それに、「賞」と名のつくものは人をおかしくさせるのかもしれない!?
…これについては別のところで考察していきたいと思います(笑)…が、それでも、結論としては、「具合が悪い時は無理せず休もう」…これしか言いようがないですよね…。
ところで、休まない人を評価したいばかりに、「休まないことこそ偉い、休む人はダメ!」という……もしもそんな風潮が強くなったとしたら、それは非常に生きづらい社会だと言わざるを得ません。
ごん塾長は、皆勤賞とる人はスゴイなーと思いますし、そういう評価を得たくて頑張る人のこともスゴイと思います。ですが、それが全てではないこと、これも当たり前で、徒競走で1位をとることだってスゴイですし、楽器を演奏できたり、計算が速かったり、生き物の世話が上手だったり、字が上手だったり。「1年欠かさずラジオ体操しました」なんていうのも、スーパースゴイですよね??(今の塾長の個人的目標)
そんなスゴイことが達成できて、それで表彰してもらえたら…それは素敵なことだと思うのです。もちろん、今回議論されたように、「表彰が目的で」自分に負荷がかかったり、人に迷惑がかかったりってことになると困るわけですが…。
個人的には、子どもたちには、たくさんの賞をあげたいなと思います。だって大人になって賞をもらえることなんてほとんどなくなりますよ(笑)。いろんな「スゴイ」を、いろんな大人が、いろんな形で評価してあげられる社会であれたら良いなぁ…と思います。