うちの弟、どうしたらいい?
エリナー・クライマー作、小宮由訳で岩波書店から刊行されている児童書です。
児童書と言いつつ、私はこの本を大人になってから読みました。そして深く突き刺さりました。小学生の頃に読んで、果たして同じような気持ちになったかどうか。
タイトルからして、「弟を持つお姉ちゃんの話」というのはお察しですが、私には弟がいないので、子どもの頃に出会っても他人事に読んだかもしれません。分かりませんが。
それが何故、今なら「突き刺さった」かと言いますと、それはもちろん、教育の仕事をしているからです。というわけで(?)、就学児童さんにもオススメではありますが、学校の先生や、子ども達に勉強を教えている大人の方にも手に取って読んでもらいたい作品かなと思います。それから、子育てに悩む親御さんにも。
主人公は少女アニー、12歳。「うちの弟」スティーヴィーは8歳。お父さんは亡くなっていて、お母さんはアニーに「弟を頼むわね」と言い残して、失踪。父方のおばあちゃんに引き取られて、3人で暮らしています。
おばあちゃんは「すぐ怒る」人で、何かというと年上の子たちとつるんで「悪さ」するスティーヴィーを、怒鳴って殴ってしつけようとします。
アニーは「そんなことをしても無駄。むしろそうすることでスティービィーは余計に荒れる」と感じていますが、具体的にどうすれば弟の非行を止められるかまでは分かりません。
8歳で非行!?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんし、実際作中で「非行」という言葉が使われているわけではありませんが、スティーヴィーは、走り行く電車に石を投げてガラス窓に当てたり、おばあちゃんのサイフからお金を抜き取ったりします。
学校へ行っても、授業中に大声を出したり、教室を走り回ったりするので、担任の先生から毎日のようにおばあちゃんへ「お手紙」が出される。そうしてそのお手紙を読んで般若となるおばあちゃんは、スティーヴィーを折檻……が、アニーの読み通り、それで彼が行動を改める様子はありません。アニーは毎日気が気でなく、「私が弟を見ていなければ、そのうち本当に刑務所に入れられるようなこともしでかすかも」と、友だちと遊ぶことも、自分の宿題にまともに取りかかる心の余裕も持てなくなります。
何で私がこんな目に!?と思いながらも、アニーはお母さんが残した言葉「弟を頼むわね」に縛られて、弟を見捨てられない。いえ、アニー自身に自覚はないかもしれませんが、読み手としては、彼女が弟を身内として愛しく思っていることを強く感じます。義務感だけで弟をどうにかしたいと思っているわけではない。でもどうして良いかは分からないから、時には自分でも嘘をつき、とりあえずはおばあちゃんの暴力から弟を守ろうとする行為に走る。トンデモ健気なお姉ちゃんです。
そんなアニーは、ある時、「ある人物」との出会いによって変わっていきます。ここからが物語の核です。その人物は弟スティーヴィーにとっても特別な人となる…。さらに、その特別な人の、そのまた家族の言葉によって、アニーは、普段あまりうまくいっていないおばあちゃんのことも考えるようになり、おばあちゃん当人にも変化が生じる。
そんな奇跡みたいなことが!?それでスティーヴィーの非行は収まり、3人は幸せに平穏に暮らせるるのね!…というと、それはネタバレになるので書かないのですが、このお話はファンタジーというよりリアルに近い形で人々の日常を描いているので、夢のようなラスト…というわけではないです。でも、とても温かみのある、希望の見えるお話であることに間違いはありません。
作中でアニーは、その「特別な人物」は自分逹にとってとても素晴らしい人なのに、どうして身内であるおばあちゃんはあんなにきついんだろ、どうしてお母さんはどこかへ行っちゃったの?…等々思ったりするわけですが、そこでその特別な人の〝家族〟がアニーに語りかけるシーンがあり、それがとても印象的です。
ほんの一部だけ紹介します。
「ほんとうの家族じゃないからこそ、やさしくできるのかもしれないわね。子どもが、もしなにか悪いことをしても、それがよその子だったら、そんなに気にしないでしょ? だって、それは、わたしの責任じゃないから。でも、それが自分の子どもとなると、わたしのせいかしらとか、父親のせいじゃないかって思ってしまう。それで、どうにかしようと思って、ついついその子にきびしくしてしまうのね。でもね、自分のせいだなんて考える必要は、まったくないのよ。 (略) はじめっから悪い子なんていないの。ただその子に、そうなってしまうようなことが起きてしまっただけ」
このシーンだけでなく、その特別な人物とアニーたちとのやりとりひとつひとつも、とてもじんわり心に響いてくるので、1ページ1ページ大切に読みたくなる本です。
「うちの弟」の部分を、「うちの妹」とか「うちの兄、姉」、あるいは「うちの子」、「うちの生徒」などと置き換えて考えてみても良いのかもしれません。
この本を読んでいくと、実はスティーヴィー少年は決して「非行少年」ではない、ということも感じられてくるので、身近な子どもさんへの見方を、少し角度を変えて見直してみたいな、なんて思っている方にも力になる本だと思います。