小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

植物くん

開業にあたって、大家さんが観葉植物をプレゼントしてくれました。さっそく入口の待合に置いて水をあげ、毎日声をかけています。今は霧吹きがないから、それも持ってきてシュッシュとやってあげなければ!です。


植物といえば、1年くらい前にショックなことがありまして…。このブログの自己紹介欄に、VRで10年以上花を育てているのが自慢と書いていますが、実はリアル世界でも、何十年もの間、ずっと可愛がってきた観葉植物がありました。それが1年と少し前、遂に枯れてしまったのです。多分何かの病気でした。


その植物との出会いは私が小学5年生の時ですから、かれこれ30年以上は…って言うと年齢がバレるので自己規制…。ともかく、その小5時代、お祭りへ言った帰り道にあるお店に、その小さな観葉植物くんはいたのです。確か700円くらいで、小学生がお小遣いで買うには結構な値段でした。しかもその植物くん、別段きれいな花が咲いているわけでもないし、葉っぱも、ぺらっぺらなのが3枚くらいしかついていない。そう、砂浜にあるヤシの木のミニマムバージョンみたいな見た目です(でも実がなる気配も全くない)。


しかしなぜか惹かれて買ったわけです。(子ども的には)大金はたいて。涼しいところに置いて、時々水を替えればそれでいいとお店の人は言いました。その観葉植物は手のひらサイズの小さな鉢に入っていたのですが、下に透明の受け皿がついていて、それをカパッと外すと水が入れられて、根っこはそこから水を吸い上げる…という風な仕組みです。


まぁ育てるというほどのものでもなく、涼しい所に置き、適度に水を替えていました。
しかし、あらびっくり。伸びる伸びる、背が伸びる。葉っぱも増える増える、次々生えてくるではないですかっ。小さな一本の細い茎からにょきにょき黄緑の葉が伸びてきて、徐々にパァーッと開いてくるわけですよ。い、癒やされる~!小学生にして癒やされる(笑)。植物って素晴らしい、多分マイナスイオンも出ていた。以降、中・高校と、それはロクでもない学校生活を送った私でしたが、この植物くんはそんな私と一緒に成長し、そして大きくなってくれたのです。


ところがその学生時代、一度だけ大変なピンチに見舞われたことがありました。突然、葉っぱが茶色になり、枯れ出した!他の葉っぱにも伝染して、明らか何らかの病気にかかったようです。もう随分と長いこと生きてきたから寿命かねなんて家族は言いましたが、とにかく悲しかったし、死んで欲しくなかった。しかし、できることはせいぜい水を取り替えたり、枯れた部分を取ったり、残った葉っぱを拭いてあげたり、「頑張れ」と声をかけたり。それくらいです。病気の人に頑張れは良くないって説もありますよね、もう十分頑張っているのに…っていう。しかし当時はそういったことも知らないし、他に言葉も見つからず、とにかく頑張れ~頑張れ~言っていました。


そうしたら!まぁ本当に頑張ってくれたのです、植物くん。生き返った!再び青々とした葉を増やし始め、さらににょきにょき背が伸びて、幹も太くなりました。完全復活です。もう手のひらサイズの鉢には収まりきらず、別の鉢へお引っ越し。植物くんは、その後2回くらいは鉢のお引っ越しをしましたかね。水を吸うだけの形態から、土もたくさん入れて。そうして、私が社会人となる頃には、私と同じくらいの背の高さになっていたのです。謎の赤い実もちょっとつけたりして。


そんな植物くんとの長いお付き合い、何なら「おじいさんの古時計」みたいに、私が死ぬまで生きてくれと思っていたので、遂になくなってしまった時はホント落ち込みましたね。実際今もそのことを認められず、家の庭に枯れ木のまま植えてあります。
また、これだけ長く一緒に暮らしたのだから、どんな植物だったかくらい調べなさいよ、名前も「植物くん」ってまんまかいって、そこらへんに若干の後悔がありますが…。


ただ何にしろ、自分が花や木に癒やしを感じ、好きなのは、明らかこの植物くんの影響でしょう。そうそう「次!」とはいけないから、VRの世界でもっぱら花畑に水をあげる日々でしたが(VRの世界でも寝落ちて枯らしている・汗)。


でも、自己紹介欄にもちらっと呟いたのですが、少し落ち着いたら「わたる」でもリアル栽培をやりたい…と思うのです。そして通ってきてくれる生徒さんたちに、「あ、この子ちょっと大きくなってる?」とか「実がなってるじゃん!」とか言ってもらいたい…という野望。それで「自分も何か育ててみたい」と思ってもらえたらもっと嬉しい。小学校でイヤイヤ朝顔育てた思い出しかない子なんかには特に(笑)。
当面は、いただいた植物くん一筋で声をかけ続けます。絶対枯らさないぞ~。


鳥の丸焼き

またしてもブログを3日もサボってしまいました。そして相変わらずホームページ閲覧者数が本日もゼロなのですが、そんなバカな…としか思えません(笑)。だって私が自分で見に行っていますからね!「わたる」のパソコンからではなく、自分のスマホやノートパソコンからも見ているのに、ゼロって実に残念過ぎる〇(マル)マークですよー…。自分の「1」という数字が燦然と輝いていても、それはそれで寂しいでしょうが…。


とりあえずホームページに関してはまさに現在勉強中です。如何せん、元はアナログ人間のド素人が宣伝のために作ったホームページですから、今もの足りないのは仕方がない!これからもっとたくさんの人に見てもらえるための工夫を考えねば!と思います(…というこのブログを見て、また集客のノウハウ、伝授します!って会社の人から電話が来たら嫌だな…笑)。


さて今日もちょっとした雑談なのですが(役に立つ話全然しないなこのブログ)。
食べ物の話!
前の日記で、自分が偏食だということをちらっと書いたと思うのですが、例えば


✕私が苦手なもの
・牛丼、カツ丼、親子丼
・「動物」をかたどった食べ物全般(例えば「たい焼き」「動物クッキー」等)
〇私が好きなもの
・すき焼き、ハンバーガー、焼き鳥(レバーも平気)


苦手なものは他にも「多々」ありますが、この「肉」レパートリーだけでも、食べられるものとそうでないものが色々あることが分かります。よって、これだけでもう大分、「この人と食事に行くのは面倒そうだ…」となることも予想されます。


私は小学校5年生の時に、「他の生き物の死によって生かされている自分」を初めて強烈に意識したことで肉が食べられなくなったのですが、あの頃は「もう将来はお坊さんになるしかない。それで山にこもって動物たちと暮らすんだ…」と思っていました。あの頃は真剣だったけれども、今思い返すとちょっと可笑しい人かもしれません。


もっとも中2の頃、お医者さんからこっぴどく叱られる出来事が起きて食事改善を始め、以降は食べられるものも増えましたし、もともと「味」が嫌いで肉を拒否していたわけではないので、全く食べられない境地からは割とすぐに脱せられました。結局、生きるしかないと気づいたら、生きるためには食べるわけです。
ただ、以降も、「できることなら食べたくない」状態は続きました。


しかし、食に対して妙な劣等感というか、苦手意識があったそんな私に、転換期のような出来事がありまして。
もう大分前の話なのですが、旅行でエルサルバドルの小さな村へ行った時のことです。折しもその国では少し前に大きな地震があり、人々は皆、大変な思いをしていました。そのため、その村へは復興ツアーというような名目で訪れたのですが、村の人たちは、それはそれは子どもも大人も総出で我々を歓待してくれたわけです。そりゃ、お金も貰っているからっていうのもあったかもですが、どうにも温かいんですよね。ビジネスということとは別に、遠い異国から来たお客さんをみんなで歓迎しよう!祭りじゃ祭りじゃ!って感じで(あれがきっと「おもてなしの精神」というものなのでしょう)。


で、そこで出たのです、食事に。鳥の丸焼きが。もろに、まるっと焼かれたものが。
他の国でも、市場なんかに行けば吊り下がっている丸焼きはありますし、日本でだってクリスマスには食べますよね、ターキー。だから、珍しくないと言えばそうなのですが…、「私」にとってはきついメニューです。しかも何というか、見たことのない形状の丸焼きで、率直に言うとグロかった(どんなだ)。
しかしその丸焼き、その村の人たちにしてみたら、1年に1回、出るか出ないかのご馳走だそうです。にも関わらず、村の人たちの分はないのですよ。私たちツアー客のための分しかなく、子ども達とて食べられない。しかも彼らは我々の横で立って見ているのですけど、わー、食べたい!欲しい!って態度も全く表さない。お水入れようか?という風に、あくまでも接待のために立ってくれているだけで。
珍しい異国のお客さんを歓待する、それ自体に子ども達もはしゃいでいるように見えましたけど…、でも、絶対食べたかったと思いますよ、鳥の丸焼き。何ならあげたいですよ、私は食べたくないわけですから。もう見た瞬間、卒倒しそうなくらい「ダメ」なものが目の前にある。できることなら残したいし、私は嫌いなので要りません、あなた達でどうぞって言ってしまいたい。
しかし、当然のごとく、分かっていました。


「そんな失礼なことは、〝人として〟絶対、口が裂けても言えない」
「これを残すなんて〝非礼〟は、間違ってもできない」


私に求められているのは、目の前の丸焼きに目を輝かせ、美味しそう!やったー!いただきます!何て美味しいんだー!すばらしー!ありがとうー!ってやることです。少なくともその時はそう感じました、強烈に。「現場の雰囲気」ってありますよね?結局、一般常識ってそういう実践の場で学んでいくものだとつくづく思うわけですが、「頭では分かっていても実際にはできない」なんてことも、本当に追い詰められるような場面にぶち当たったら、人間はある程度のことはやってのけますよ、多分。ましてや、私のこの経験なんて、目の前のグロい丸焼きを完食するだけ!ヨユー!余裕過ぎる。生ぬるい日本社会で甘ったれおって、あれが食べられない、これが嫌いとか言ってんじゃねー!…と、頭の中で必死に己を叱咤します。さらに、そうした叱咤に効果がないと気づくと(笑)、大好きな漫画「ガラスの仮面」を思い出し、「今こそ北島マヤとなり、肉が大好きな食いしん坊キャラになりきるのだ!」とかもやりました。私はこれを「北島マヤ現象」と呼んでいますが、自分にとってこなすのが難しい場面に立った時は、「自分を捨てて演技人になるのだ」という暗示をかけるのです(ヘンな人だと思わないで下さい)。


多少話がそれましたが…。
結論としては、出されたご馳走は無事、笑顔で完食。
その時、「やればできるじゃないか」という得も言われぬ達成感が私を襲いました。しかも周りが喜んでくれているんですよ?大人も子どもも皆さん笑顔ですよ、自分は食べられていないのに。
このことがあってから、「できることなら食べたくないものは沢山ありますが、食べられないものはないです」と答えることが自分の定番となりました。中2の時、必要に迫られて食事改善をしたことと、人の親切には応えるという「人として当たり前のこと」ができたという、この2点の経験は食に関する自分の意識を変えました。


ところで余談ですが…その電気も何もない小さな村には、一晩だけお邪魔しました。村の集会所から数十分歩いた先にある、母子家庭のお宅にたったひとりで…。本当に真っ暗な闇とはああいうものを言うのかというほど、目を開いているのに「黒」しかない。そして静寂。片付けをするから先に行っていてとジェスチャーされ、独りそのまっすぐな細い砂利道を歩いていると、野犬らしき吠え声と共にモノスゴイ勢いで突進してくる獣の気配が!初めて足がすくんで動けないという経験もしました。そんな私の横を全力疾走で通り過ぎたらしいわんこ。←見えない
泊めていただいたお宅では、家族は濁った水を使っているのに、私には集会所から運んできた透明の水で「歯磨きってものをするんでしょ?」とリアクションで歯磨きしたらいいと勧めてくれたり、優しかったなぁ。英語は通じない上、ママさんも2人の子ども達も字の読み書きはできないので完全にジェスチャー祭りでしたが、言葉がなくても通じ合えるなー、特に子どもとは…というのも実感した一日でした。


ちなみに後日、同じツアー客から、「あの食事?残したよ、あんなの無理でしょ。え、食べたの、マジで(笑)。いいんだよ、私ら客なんだから」と言われて衝撃を受けたこともここに付け加えておきます。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。無駄に長くてすみません(笑)。


先生がしてはいけないこと

山田章さんが書かれた、「教室で使える発達の知識―発達が凸凹の子どもたちへの対応」(クリエイツかもがわ)という本を読んだのですが、読み物として面白く、思わず声に出して笑ってしまう場面もしばしばでした。「なるほど~!」と頷くところも多々あり。


例えば、「思考の柔軟性が弱い」子どもに〝先生が絶対してはいけないこと〟として、


〝強く叱ったり、やりたくないことを指導・強要したりしてはいけない〟


……というのは、まぁ近年よく聞く模範解答というか、割と一般にも認知されてきた事柄かなと思うのですが、


〝中途半端に親切にしない〟
〝やりたがっていることをやらせて褒めてはいけない〟


…等の項目では、「あ~、学級でやっちゃったことあるよ~!」が満載でした。


「中途半端親切」の例としては、子どもが赤鉛筆を忘れて答え合わせができていない時に、先生が、別にその子から貸して下さいとも何とも言われていないのに率先して自分の赤ペンを差し出し、「これで〇つけしなさい」と声をかけ、実際にやったら「頑張って〇つけしたね」と褒めてあげる―…。


冷静に考えたら、そりゃダメですよね。先生としては、授業に参加してもらいたいからこそ、手元にあった赤ペンを何の抵抗もなく差し出した。それによって、独りぼーっとしていた子が自ら〇つけできたのだから「頑張ったね」も言ってあげたい。当然の流れです。
しかしこれでは、「別に赤ペン忘れてもよくね?」と誤学習してしまう…。あー…。教員時代は何の考えもなく「も~何でペンないの!?はい!」とか言って貸してあげていました。思い返せば、そういう子はその後もしょっちゅう「当然の態度で」私にペンを借りてくるようになっていましたわ(スキンシップかと思っていたくらいです・汗)。


「やりたがっていることをやらせて褒めてはいけない」の例も唸りました。
よくあるパターンが、「俺がプリント配る!」と立ち上がってきた子に、「助かったよ、ありがとう」って言っちゃうやつ。
………あるある過ぎる~!笑
しかし本書によると、これは親切で「配ってあげる」と言ってきているわけではなく、「俺様に配らせろ」という命令であり、それを了承してしまうと、その王様に臣下が従った図式となるので良くないと(笑)。普通なら「先生、プリント配りましょうか?」とお伺いを立ててやるものだと。
他にも「俺が黒板消す!」、しんどい友達を「俺が保健室へ連れて行ってあげる!」、視聴覚教材のスイッチを「俺が入れてあげるよ!」等々…。あくまでも本人がやりたいからやっているだけであり、親切ではないので(笑)、唯々諾々とやらせてはいけない…というような内容でした。


うーむ、あれもこれもやってしまったよ。と、反省することしきりです。何か仕事を任すことで、自分もクラスの役に立っていると思ってもらいたいとか、感謝される喜びを知ってもらいたいとか…。いろいろな思惑があるからこそ、子どもの申し出にOKを出し、「お手伝い」させているつもりだったのに。でも、確かにそうだ。こういう「親切」を重ねさせても、子どもはやりたくない掃除や係の仕事、めんどくさそうな作業に率先して「やってあげる!」と「こちらが望む親切」は発動させなかったものなぁ…。


これでどこが笑えるのだ!?と思われるかもしれませんが、あまりにあるある過ぎて笑ってしまったのです。己の失敗も顧みつつ。


また、まだうまく関係性が築けていないなと思っている子に突然、「ブタ」「死ね」などと言われたとして、きつく叱ったり、大げさに悲しんだりしてはいけない。なぜなら、言いたいことを上手くわかるように言えないその子は、「嫌いだ」「向こうに行け」と言っているだけなのに、それに対して派手な反応を示したら、「ブタ」「死ね」で通じたと思うので、以後ずっとそれを使うようになってしまう、と。注意しないと「ブタ」遊びに転化して、先生を怒らせようとして、しつこく「ブタ」と言って来る、いっそわくわくしながらそれをやる、そのうち〝「くされブタ」などエスカレートしていくことになります。〟と…。あまりにも冷静に淡々と解説されるので、「く、くされブタ…!」とツボってしまいました(笑)。
「嫌いだ」「向こうに行け」と言われるのもショックですが、確かに「ブタ」「死ね」よりは真っ当に言われた方がマシだ(笑)。私もサポート校時代、最初は良好な関係を築けていると思っていた生徒を、授業中に一度、「ちょっと煩すぎるから静かにして」と言ったその瞬間から関係性が瓦解して、以降は「おはよう」と言うだけで「死ね」と言われ続けました。廊下で会っても死ね、さっきまで友人と談笑していたはずでも真顔で死ね。スキー教室へ行った時も、てっぺんから華麗に滑降してきたその子が、遠くにいた私を見つけて、「ごん~!死ね~!」と大声で叫んできた時は、いっそ執念のようなものを感じました。
同僚の先生方は、あんなにもしつこくごん先生に絡むなんて、よっぽど先生のことが好きなんだね~なんて言っていましたが、私にはとてもそうは思えませんでした。あの「死ね」にはきっといろいろな意味が含まれていたと思うのですよ。好きとかじゃなくてね。本当お前むかつくな、俺の視界に入るんじゃねえよ、邪魔なんだよ、何であんなちょっとくらいのことでみんなの前で注意したんだよ?ほとんどは授業聞いていてやっていただろ?それを…この馬鹿野郎!…みたいなね。
でも、言われている方としては「死ね」の2語しかないから、毎回辛いわけです。何せ、新卒の20代前半、経験のない若造でしたからね。そのため、毎度懲りずに「凄く嫌だ」というリアクションを取って、それにより「やったぜ、こいつが嫌がっているぜ」でさらに「死ね」の単語は加速しました。この本では小学生の事例でしたが、高校生でも同じような事例はあるという話です(笑)。


先生たちは日々、いろいろな児童・生徒と関わって、意思の疎通がとれないと感じてしんどいこともあるかと思いますけど、ただ、未熟な子どもさんはきっともっと辛いですよね。単純な悪意の単語でしか通じたと感じられず、相手に自分の思いのほとんどは「通じない」。とんでもないストレスでしょう。言葉通りに受けとめるのではなく、その短い単語の裏に隠された意味を大人の側が丁寧に探り、慮ることで、お互いの関係性も変えていくことができるのかなぁなんて、この本を読んでいて改めて思いました。日々修行ですね。