小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

鳥の丸焼き

またしてもブログを3日もサボってしまいました。そして相変わらずホームページ閲覧者数が本日もゼロなのですが、そんなバカな…としか思えません(笑)。だって私が自分で見に行っていますからね!「わたる」のパソコンからではなく、自分のスマホやノートパソコンからも見ているのに、ゼロって実に残念過ぎる〇(マル)マークですよー…。自分の「1」という数字が燦然と輝いていても、それはそれで寂しいでしょうが…。


とりあえずホームページに関してはまさに現在勉強中です。如何せん、元はアナログ人間のド素人が宣伝のために作ったホームページですから、今もの足りないのは仕方がない!これからもっとたくさんの人に見てもらえるための工夫を考えねば!と思います(…というこのブログを見て、また集客のノウハウ、伝授します!って会社の人から電話が来たら嫌だな…笑)。


さて今日もちょっとした雑談なのですが(役に立つ話全然しないなこのブログ)。
食べ物の話!
前の日記で、自分が偏食だということをちらっと書いたと思うのですが、例えば


✕私が苦手なもの
・牛丼、カツ丼、親子丼
・「動物」をかたどった食べ物全般(例えば「たい焼き」「動物クッキー」等)
〇私が好きなもの
・すき焼き、ハンバーガー、焼き鳥(レバーも平気)


苦手なものは他にも「多々」ありますが、この「肉」レパートリーだけでも、食べられるものとそうでないものが色々あることが分かります。よって、これだけでもう大分、「この人と食事に行くのは面倒そうだ…」となることも予想されます。


私は小学校5年生の時に、「他の生き物の死によって生かされている自分」を初めて強烈に意識したことで肉が食べられなくなったのですが、あの頃は「もう将来はお坊さんになるしかない。それで山にこもって動物たちと暮らすんだ…」と思っていました。あの頃は真剣だったけれども、今思い返すとちょっと可笑しい人かもしれません。


もっとも中2の頃、お医者さんからこっぴどく叱られる出来事が起きて食事改善を始め、以降は食べられるものも増えましたし、もともと「味」が嫌いで肉を拒否していたわけではないので、全く食べられない境地からは割とすぐに脱せられました。結局、生きるしかないと気づいたら、生きるためには食べるわけです。
ただ、以降も、「できることなら食べたくない」状態は続きました。


しかし、食に対して妙な劣等感というか、苦手意識があったそんな私に、転換期のような出来事がありまして。
もう大分前の話なのですが、旅行でエルサルバドルの小さな村へ行った時のことです。折しもその国では少し前に大きな地震があり、人々は皆、大変な思いをしていました。そのため、その村へは復興ツアーというような名目で訪れたのですが、村の人たちは、それはそれは子どもも大人も総出で我々を歓待してくれたわけです。そりゃ、お金も貰っているからっていうのもあったかもですが、どうにも温かいんですよね。ビジネスということとは別に、遠い異国から来たお客さんをみんなで歓迎しよう!祭りじゃ祭りじゃ!って感じで(あれがきっと「おもてなしの精神」というものなのでしょう)。


で、そこで出たのです、食事に。鳥の丸焼きが。もろに、まるっと焼かれたものが。
他の国でも、市場なんかに行けば吊り下がっている丸焼きはありますし、日本でだってクリスマスには食べますよね、ターキー。だから、珍しくないと言えばそうなのですが…、「私」にとってはきついメニューです。しかも何というか、見たことのない形状の丸焼きで、率直に言うとグロかった(どんなだ)。
しかしその丸焼き、その村の人たちにしてみたら、1年に1回、出るか出ないかのご馳走だそうです。にも関わらず、村の人たちの分はないのですよ。私たちツアー客のための分しかなく、子ども達とて食べられない。しかも彼らは我々の横で立って見ているのですけど、わー、食べたい!欲しい!って態度も全く表さない。お水入れようか?という風に、あくまでも接待のために立ってくれているだけで。
珍しい異国のお客さんを歓待する、それ自体に子ども達もはしゃいでいるように見えましたけど…、でも、絶対食べたかったと思いますよ、鳥の丸焼き。何ならあげたいですよ、私は食べたくないわけですから。もう見た瞬間、卒倒しそうなくらい「ダメ」なものが目の前にある。できることなら残したいし、私は嫌いなので要りません、あなた達でどうぞって言ってしまいたい。
しかし、当然のごとく、分かっていました。


「そんな失礼なことは、〝人として〟絶対、口が裂けても言えない」
「これを残すなんて〝非礼〟は、間違ってもできない」


私に求められているのは、目の前の丸焼きに目を輝かせ、美味しそう!やったー!いただきます!何て美味しいんだー!すばらしー!ありがとうー!ってやることです。少なくともその時はそう感じました、強烈に。「現場の雰囲気」ってありますよね?結局、一般常識ってそういう実践の場で学んでいくものだとつくづく思うわけですが、「頭では分かっていても実際にはできない」なんてことも、本当に追い詰められるような場面にぶち当たったら、人間はある程度のことはやってのけますよ、多分。ましてや、私のこの経験なんて、目の前のグロい丸焼きを完食するだけ!ヨユー!余裕過ぎる。生ぬるい日本社会で甘ったれおって、あれが食べられない、これが嫌いとか言ってんじゃねー!…と、頭の中で必死に己を叱咤します。さらに、そうした叱咤に効果がないと気づくと(笑)、大好きな漫画「ガラスの仮面」を思い出し、「今こそ北島マヤとなり、肉が大好きな食いしん坊キャラになりきるのだ!」とかもやりました。私はこれを「北島マヤ現象」と呼んでいますが、自分にとってこなすのが難しい場面に立った時は、「自分を捨てて演技人になるのだ」という暗示をかけるのです(ヘンな人だと思わないで下さい)。


多少話がそれましたが…。
結論としては、出されたご馳走は無事、笑顔で完食。
その時、「やればできるじゃないか」という得も言われぬ達成感が私を襲いました。しかも周りが喜んでくれているんですよ?大人も子どもも皆さん笑顔ですよ、自分は食べられていないのに。
このことがあってから、「できることなら食べたくないものは沢山ありますが、食べられないものはないです」と答えることが自分の定番となりました。中2の時、必要に迫られて食事改善をしたことと、人の親切には応えるという「人として当たり前のこと」ができたという、この2点の経験は食に関する自分の意識を変えました。


ところで余談ですが…その電気も何もない小さな村には、一晩だけお邪魔しました。村の集会所から数十分歩いた先にある、母子家庭のお宅にたったひとりで…。本当に真っ暗な闇とはああいうものを言うのかというほど、目を開いているのに「黒」しかない。そして静寂。片付けをするから先に行っていてとジェスチャーされ、独りそのまっすぐな細い砂利道を歩いていると、野犬らしき吠え声と共にモノスゴイ勢いで突進してくる獣の気配が!初めて足がすくんで動けないという経験もしました。そんな私の横を全力疾走で通り過ぎたらしいわんこ。←見えない
泊めていただいたお宅では、家族は濁った水を使っているのに、私には集会所から運んできた透明の水で「歯磨きってものをするんでしょ?」とリアクションで歯磨きしたらいいと勧めてくれたり、優しかったなぁ。英語は通じない上、ママさんも2人の子ども達も字の読み書きはできないので完全にジェスチャー祭りでしたが、言葉がなくても通じ合えるなー、特に子どもとは…というのも実感した一日でした。


ちなみに後日、同じツアー客から、「あの食事?残したよ、あんなの無理でしょ。え、食べたの、マジで(笑)。いいんだよ、私ら客なんだから」と言われて衝撃を受けたこともここに付け加えておきます。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。無駄に長くてすみません(笑)。


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