発問組み立て事典
さきほどは絵本の紹介を載せましたが、次は『小学校国語 発問組み立て事典 物語文編』(岩崎直哉・著/明治図書)の紹介です。
集団授業で生じ得る学び力のものすごさは、まがりなりにも教員をしていた身としても、多少なり、分かるつもりでおります。
そのため、個別指導塾をやりながらも、「集団授業もやりたいな~」と、未だによく思います。個別には個別の、集団には集団の良さがありますけれど、教師の問いかけに生徒が答え、またそれを傍から聴くことによって別の生徒が新たな発見を得る…という図式が、学校教育の素晴らしいところの1つではないでしょうか。
先述した書籍は、そのような集団授業において、教師の問いかけ方(発問内容)が、いかに子ども達の学び力を変えるか、いかに授業1つ1つの局面が大事になってくるかを投げかけてくれる、先生用のテキストブックです。
「物語編」なので、教科書で使用される「おおきなかぶ」や「スイミー」、「お手紙」、「もちもちの木」、そしてごん塾長のバイブル「ごんぎつね」等々が題材として用いられています。
「わたる」は教科書の物語を扱う塾ではないので、直接このテキストが授業で使えるわけではないのですが、発問の仕方そのものが参考になりましたし、何より、自分自身があれらの物語を読んで「気づかなかった」と感じる指摘が多くあったため、単純にお話を読む際の参考になったとも感じました(教える側がそれでいいのか!?という突っ込みはおいておきまして…)。
思えば子ども達には、小説を「味わいながら読んで欲しい」といった想いを常に抱きつつ、最近の自分がそのような姿勢で本を読んでいませんでした。
また、そもそも文章の読み込みが甘い子ども達に対し、教える側が投げかける1つ1つの発問がそれぞれ意図を持ったものであったのか?と、改めて自身を問い直す契機ともなりました。
確かに、物語にはいわゆる「神視点」の語り手がいる一方で、筆者によっては、突如として登場人物の心の語りが出てくる下りもあります(「ごんぎつね」で言えば、「そのとき兵十は、ふと顔を上げました。(略)こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが~」といった語りの転換)。
本書では「語り手が、どの人物にどれくらい寄り添っているのか意識しながら読むと、物語の世界をより楽しむことができます」とあり、この点、特にはっとさせられました。子どもの頃はそのようなことはもちろん意識することなく、ただもう「ごんも兵十も可哀想!何でこんな結末にするんだ!作者のバカ!」くらいにしか思っていませんでしたが(浅い)、それだけ感情移入できたのも、自然と引き込まれたあのような描写があったからだと考えると、ガーン!となりますし、「負けた!」となりますよね(何)。
1つ1つの文章がこのように読者の心を揺さぶるものであること、そういった表現を意識的に学ぶことは大切であると感じます。
さらに本書では、「このとき、兵十はどんな気持ちですか」と問うのではなく(=それでは単に「怒っている」とだけ返ってきて終わってしまうから)、「どのように、その怒りが表現されているか、読者はなぜ兵十の怒りを強く感じるのかということを、書かれている言葉(語り方)をたよりに考えること」を促す、それがつまりは論理的に読ませることだといった説明があり、う~ん、まさにまさに!となりました。読みの力を育てるとは、こうした教える側の「気配り」が十二分になされてこそ、初めて出来得るものなのでしょう。
詳しいことはネタバレになってしまうのでここまでとしますが、国語の授業で悩まれている先生方は一読をされると得るものも多いと思います。
また、子どもさんと一緒に物語を楽しみたいという親御さんにとっても、目からうろこな指摘が見つかるかもしれません。