小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

友だちがくれた7か条

何やら今から友だちが「わたる」に来てくれるらしいので、今のうちにブログを書いておこうと思います(笑)。


「わたる」を開設したことを、まだ、ほとんどの人に教えていません。何故って、「塾を始めた」ことを知られるのは構わないけれど、このブログを読まれるのが嫌だ!!


…何を子どもじみた駄々をこねておるのだ…という感じかもしれませんが、ブログをされている方なら分かるはず!自分のブログって、実はリアルの知り合いにはその存在を内緒にしているパターン、多くないですか?いや実態はよく知らないですけど、少なくとも私は自分のツイッターアカウント、リアルの誰にも教えてないです。別に見られても平気と言えば平気なのですが、単なる某アイドル信奉ツイッターなので、やたらとテンションが高い(笑)!で、もしここに自分の知っている誰かが「見に来ている」という意識があったとしたら、こんなにもノビノビとハイテンションの呟きをするだろか?できるだろうか?と思うのですね。「自分の本当を知っている人が、この世界にはいない」ことで、自由にSNSを楽しめる、という部分があると思うのですよ。世の、いわゆるネトウヨと呼ばれる方々がネット上であんなにも口が悪いのだって、匿名性が守られているからこそであり、実際にリアルで会ったとしたら、あんな意味不明な怖さを感じる、相手を罵倒するばかりの人じゃない気がしますよね(あのまんまの非常識さ全開だったら嫌すぎるよ…)。勿論、いくら匿名でも、最低限のルールやマナーは守ってネット界隈を楽しみたいですけどね!(いい話みたいに締めてみた)


話が逸れました、友だちの話でした。
私が開塾したことを知る数少ないこの友だち、この間、このブログにも「いいね」をしてくれようとしたらしいですが、アカウント持っていないとできないらしいと知り、挫折していました(笑)。
私たちの世代は、子どもの頃、今ほどネットが盛んでない…というか、ほとんど存在していませんでしたから、どうしてもこのSNS全盛の今の流れにはついていききれないところがあります。この間、スマホやLINEに抵抗があってなかなかできなかったことも日記にちらりと書きましたが…。


で、昔の交流手段は、もっぱら家電とか、手紙!
手紙は実によく書きました。私は手紙魔の部類に入る人だったと言って良いかもしれない。便せんを選ぶのが、まず楽しかった。中学を卒業した後、進路がバラバラになった友だちにはよく手紙を書きましたし、大学でも、社会人になっても、何かと言うと手紙は書いていた気がします。今から来る友だちとは、そういうやりとりが長く続いたから今も関係が続いているわけですね。そして時折、「あの時こんなこと書いていたらしいよ」とその手紙を写メしてメールで送ったりして爆笑しています。


今はすっかり手紙を書く習慣がなくなりました。メールが主流となり、今はLINEです。それはそれで便利だし、すごく「ラク」、「面白い」けれど、手紙が懐かしくなる時もあります。あの「間」が良かったのかなぁ…と。まぁメールやLINEでも敢えて「間」を取ることもありますが、すぐ返事できるのに何でしないの?と相手が思わないかなって、自分が勝手に気になってしまう(だから最初、LINEも「既読」がついているのにすぐ返事しないのってどうなの、気にならない?っていうのが心配だった)。


あと、手間暇かけた手紙だからこそ、嬉しいっていうのもきっとあると思うんですよね。
だから私は、世界がどんなに便利になっても、この「手紙文化」は人類共通の財産として受け継がれて欲しいなーと、自分も書かなくなったくせに強く思います(説得力が…笑)。


最後に、今来る友だちが1994年に私にくれた手紙「成功への道のり7か条」を紹介したいと思います(本人の許可は取りました)。


「成功への道のり7か条」
一、常に平常心でいる事
一、広い心を持つ事
一、怒らない事
一、笑顔を忘れぬ事
一、いじけない事
一、自信を持つ事
一、あきらめない事


………どうですか?
こんなものが…って言ったら失礼ですが、こんな内容が突然手紙で送られてきたらびっくりしますよ(笑)。でも当時、お互いにいろいろなことがあって、この7か条には、お互いにしか分からない重みがあり、当時凄く感動したことは今でもよく覚えています。実際、今読み返しても感動しますしね。まさに、全部大切なことだよなぁ~と思いますし。そしてどれも簡単そうでいて、実に難しい!ただ確かに、これらのことが実行できたら、何かにつけ「成功する」人生を送れるかもしれない、そんな風には思います。


まぁ当の友だちは、「こんなん書いても、未だに何も成功してないけどね」と申しておりますが(笑)。


まったくやる気が起きないとき

もう寝るしかない。
この結論をもって今日のブログは終わり…となったら、さすがにひどすぎる雑さなのですが、実際やる気が出ない時に何かしようとしても無理なのです。


そりゃ「どうしてもやらねばならない」時もあるわけで、そのような時には必要に迫られて無理矢理やることは多々ありますけども。
やる気があるとかないとか?そんなこと関係ない、やらなきゃダメなんだ!やれー!!…と言った、いっそ追い込まれた状況で身体を動かしている人、きっと世の中にたくさんいますよね。皆様いつもお疲れ様です。


かなり昔の話ですが、大学受験のための予備校で進路相談の仕事をしていたことがあり、そこで受験生に対し「効率よく勉強するには」「集中するための方法」といったガイダンスをやっていたんですね。


つまり、「やる気を出して勉強するにはどうしたらいいか」って話です。


そのガイダンスは自分が勝手に話すのではなく、予備校が用意したマニュアルがあるので、それを紹介するのが仕事です。もちろん、話し方や盛り上げるためのリアクションなんかは自分で工夫しますが、「話す内容」があらかじめ用意されているってラクですよ(笑)。
そして、長年多くの受験生を見てきた予備校なだけあって、有名講師による分かりやすい授業とか、学習方法の伝授といったことのみならず、そうしたメンタル面フォローの対案も結構持っているわけです。「私も高校生の時にこういう話が聞きたかったよ」と思いました。
とはいえ、大人になった今とて、そういうことを知っておくのは無駄ではない。というか、大人になった今の方が、どちらかというと集中したり、やる気を出したい時は多くなった気がする!


というわけで、遙か昔に生徒たちへ伝えたそのマニュアルの内容を必死になって思い起こそうとするわけですが、思い起こさずとも覚えていることに「15~20分間、とりあえず寝る」というものがありました。
勿論、目覚ましはかけます。必要に応じて数は自己調整(私なら3個はいるかな…)。
20分なんて、ちょうど深い眠りに落ちかけていそうな頃合いで、下手したら朝まで起きませんよ。そんな危険性がある人は、その深い眠りに落ちる前の10~15分でやめておいた方がいいってことでしょうか。そこらへんは記憶が曖昧です。


眠かったり疲れていたり、明らか「集中できていない」と自分でも分かっているのに、だらだら机に向かっていても仕方がない。だったら思い切ってちょっとでも寝てしまった方がさっぱりするし、意外に目も冴えるもんだ!…というようなことが書いてあった気がします。…あの頃は「へー!そうなんだー!」と思ったのですが、今の私は無理かも。ずっと寝ちゃうかも…という気がしないでもありません。鉄の意志がないと…(笑)。とはいえ、「これ結構使えるよ!」と言っていた子も割といました。みんな偉いなぁ~。


同じく、頭がしゃっきりする!というものに、「風呂上がり、足先に水をかけて出る」というのがありました。これは私自身、時々やります。しゃっきりするかはともかく、単純に気持ちが良いです。冷え性な人はダメかな…。
また、これは違う媒体で書かれていたことですが、同じ風呂繋がりで、「浴槽に入っている時は電気を真っ暗にして目を閉じて神経を集中させる」というのもありましたね。…真っ暗な風呂でこけたらどうするんだというツッコミもなくはないですが、脱衣所に電気がついていれば真っ暗ってことはないかな?


その他、場所を「机」に限定しない。
例えば狭いところへ行く(猫・笑?)。
覚えることは歩きながら声に出して読む。
「希望大学に受かった時の自分」を想像して奮起する(こういうの好き・笑)。
タイマーをセットして短時間(例えば10分×3セット)設定して繰り返す…等々。


私も一時期、学習机と壁の間にわざと少しの隙間を作り、その間に座って勉強したことがあります。発達に特性を持つお子さんの中にも、狭いところや壁に守られているところが安心で好きというタイプの子がいますけれど、あんまり広いと気が散ってしまうし落ち着かないというのは、結構多くの人が感じる事柄なのかもしれませんね。


さらには飲み物を飲む、今日やることを口に出して自分或いは家族に聞かせる、誰かと一緒に勉強する(これが1番良い気がする)…アイディアって本当にいっぱいありますね。
だからこそ、自分にとって「何が一番向いているか?」を探るのは大変なわけですが。そもそもやる気がしないのに無理矢理やる気を出さなきゃいけないって時点で試練。それが「自分のため」にやらなきゃいけないことと分かってはいても、できない時はできない。いっそ「誰かのため」の方がやる気が出るのかも?これも人によりますかね。


因みに私の場合は、何をどうやってもダメな時はとりあえず寝ます。冒頭に書いた通りです。そして己をリセット。15~20分とかじゃないですよ、普通に「おやすみなさい」の勢いで寝ます。今日の私はダメ人間だったけど、明日は違うかもしれない、だから明日に先延ばす!(1番ダメな人のパターンではないか…)
明日に先延ばしできないものに関しては徹夜しますが…そしてこれも計画性なしのダメ人間の所業ですが…。
「今日できることを明日に延ばすな」という名言、大好きなのに、分かっていてもできない。できない自分に自己嫌悪…負のスパイラルに突入…って、それが最も避けたい事項。
ですから、仮に「寝る」→「リセット」でも切り替えができず、こういう「今日もダメ人間だった」ということがいよいよ続いたら、最終的には人の助けを借りますね。縛られた環境で監視されてでもやるみたいな状況に身を置く(笑)。
受験塾へ通う子ども達の中にも、そういう理由で通う子もきっと多いでしょう。家にいたら全くちっとも勉強しない、できないから、違う場所へ行って無理矢理でも勉強する機会を作るのだ、と。


皆さんは「やる気を出さないといけないとき」にどうやってやる気を出しているのでしょうか。やっぱり10人いたら10人、そのやり方はきっと違うものなのでしょうね。


超能力を信じるor信じない?

1年前からプレイを始めて、以降「まっったく」飽きる気配のないオンラインゲームがあるのですが、そのゲーム内にいわゆる「神経衰弱」的なカードゲームがあります。レベルが上がるにつれカードの枚数が増えていくのですが、要はめくったカードの絵柄と同じ絵柄を探し当て、時間内に裏返されたカード全てをマッチングさせる、という単純な遊びです。単純ですが、記憶力を問われます。
で、この遊びをしている時に、ふと大学生の頃に受けた講義を思い出しました。


それは、超心理学実験。「人間には超能力があるや否や?」という実験です。もう何十年も前の話なので詳細は朧気ですが、エスパーさん(?)がよく使うカードありますよね。星の形をしていたり、四角だったり、川だったり。まぁ単純な記号ですが、それが6種類くらいあったのかな。勿論カードは裏返しになっており、そこに並べられているのがどのマークのカードなのかは一見して分からない。そこで、各自が己の奥底に眠るスーパーな力を発揮してカードの絵柄を当てる!何なら透視する!という実験です。


私が大学生の頃、心理学科はとても人気のある学部で、1学年に100名以上の学生がいました。いやもっとかな?とにかく大所帯の学部でして、その人間たちが、一斉に裏返しになったカードに対し「それは星だ!」「いや川だ!」と、ほぼほぼ当てずっぽうに予測しまくる(笑)。ずごい絵ヅラですよ。いやいや、当てずっぽうなんて態度じゃダメだったかも。真剣に、自分にはそういう力があるんだと思いながらやれ!とか言われたような気もします。しかもですよ、その作業を確か何百試行(!)とやった。くたくたです。もう中盤で飽きますよね。しかし超能力がある人にとっては疲れなんて関係ない、むしろ疲労しても正答率が高かったらスゴイ!ってことになるのかも?


その全試行に対し、「カードの絵柄を当てられたか、外したか」を集計し、自分の的中率は何パーセントだったかを出す。そして全体と比べる。正答率上位何パーセントかの人が超能力を持っている可能性あり!?と言われて、それはわいわいと盛り上がりました。
だって、みんな大体同じような正答率の中で、奇跡的な的中率をたたき出す人が、実際に1人とか2人いるわけです。もうみんなの羨望の的ですよ。すげー!おおー!超能力者かよ!みたいな感じでもてはやされて。羨ましいの極地です。
無論、学生のほとんどが、もてはやされた当人も含めてこう思っています。


「でも超能力なんて、ないでしょ?」


私自身もどちらかというとそっち系の人間で、あったら楽しいけれど、ないだろう…と。夢のないことを思ってしまいます。だって実際に透視ができたり、物を浮かしたり、何なら自分が浮いたり、未来を予知したり…そういう場面を見たことがないのですから。やっぱり自分で見たもの聞いたことじゃないと、なかなか実感として信じられない。


ところが大学3年生の時に出会った恩師は、「私は超能力者と会ったことがある」と言うのです。どういう経緯でそういう話になったかは覚えていませんが、私が、そういう世界の話はあまり信じていない、と言ったことから始まった会話だと記憶しています。
恩師は定年間際の女性の先生で、真面目でいつも毅然とした、本当に尊敬に値する研究者でした。私をからかうとか嘘を言うような人では決してありません。だからこそ、突然そういう話をされて戸惑ったのですが、先生は「でも普段はこの話自体あまりしない、辛い思い出だから」と仰いました。何でも、その超能力者の方は、昔は周りからもスゴイ、何か不思議な能力がある!ともてはやされ、騒がれたものの、ある日どうしてかぷっつりとその能力が使えなくなり、その途端、何だぁどうせマジックだったんでしょ?インチキだったんでしょ?嘘つき!…等々と人々から手のひらを返され、たくさん責められたと…。
先生は、「その子は人を騙すような人間じゃありませんでした。ですから、当時のあの子には本当に力があったのだと思いますよ。勿論、もう証明することはできないけれど、自分が見て知っていることだけが真実ではないですよね。世の中分からないことだらけなんですから。だから私は、超能力と呼ばれるもののことも信じているんですよ」と。


別に私も超能力を信じている人をバカにしたり否定するつもりで話したわけではなかったのですが、先生は、私がそういうものの存在を信じていないと言ったこと自体が悲しかったのだと思います。
超能力があるかないかに関わらず、物事ひとつひとつ人によって考え方が違うから、全部が全部、人と同じにはなれないし、だから先生も無理矢理私に超能力を信じろ!と言いたかったわけでは、勿論ありません。でも、先生がいつになく真剣に、世の多くの人が超能力という異端なものを弾こうとしたことで傷ついた人がいるのだ、と伝えてきたことは、今でも胸に残っています。
因みにその元超能力者の方は立派な大人となり、超能力の「ちょ」の字も出すことなく「普通の人」としての生活を取り戻し、幸せに暮らしていると聞きました。


ところで、ですね。冒頭の超心理学実験の話なのですが。
信じがたい的中率でカードの絵柄を当てた人は「超能力者の可能性あり!」と判定されたわけですけど、一方で「信じがたい率で外しまくった人」も、同様に「超能力者の可能性あり!」と判定されたのです。
曰く、「そこまで外しまくるなんて、通常考えられない。敢えて無意識のうちに当たりを回避して外れを引いたのでは?」という解釈が成り立つ、とか何とかで。
いや~面白い。
で、何をかくそう、私がそれだったのです。その「信じがたい率」とやらでカードの絵柄を外しまくった(笑)。もう、全っ然当たらない!真剣にやりましたよ?星だ!川だ!って一生懸命当てに行ったし、無意識に外そうとするとか意味が分かりません(深層心理で超能力者と判定されることに抵抗を示したのか・笑?)。


そんなわけで、当時は私も超能力者の可能性ありの少数派に分類されたので…、超能力、あったらいいなっていうことは本当に思います。何でもかんでも外しまくる能力って何に使えるのかとは思いつつ…。
思えばテストでは、5択どころか3択でも、分からない時は絶対に外す。勘で当たった試しがほぼないんです。ですから結局実力で点を取るしかなく、真面目にテスト勉強しないといけませんでした。……そういう意味では、私は「怠けが許されない」という素晴らしい超能力を授かった、と言えないこともないですね(そんな能力要らない…)。


あ、塾をやっております。興味のある方は下記リンクから見てやって下さい。