発達障害に生まれて
強烈な台風が接近中とのことで…。被災地が心配です。皆様お住まいの地域はいかがでしょうか。うちではとりあえず簡易トイレと水の備蓄があるかの確認を行いました。携帯の充電や、外にある飛びそうな物を中へ入れること等も明日中にやらなければなりませんね。
そして土曜は定休として、日曜は安全を考慮して「わたる」はお休みに致します。お問い合わせ等の返信は月曜以降となりますので、どうぞご了承ください(HPにもその旨記載させていただきました)。
さて、話は変わり、本日のブログは本の紹介です。
『発達障害に生まれて』(松永正訓 著/中央公論新社)。昨年発行された書籍で、以前どこかの媒体で宣伝があったのを見て、「読みたいな」と思っていました。…が、読破が今頃になってしまいました。ただ、「読みたい」とは思っても、いつしか記憶から消え去り、そのまま…というパターンも多い中、この本は遅れながらも無事に手に取れて読み終えられたのですから、「縁」がありました。人も本もそういう縁ってありますよね。大事にしたいです。
この本、とても精悍な顔つきをした丸刈り青年が表紙で、何ともインパクトがあります。
タイトルからして「この子が主人公なのだな」というのは分かるのですが、「障害」という言葉があるものの(作者さんは意図的にこの漢字をそのまま用いていると述べています)、一見して彼が「そう」とは思えない。発達障害は、外見からすぐさま何らかの障害があるとは分からず、周囲の人には気づかれにくいというのも特徴です。
作中で、この青年―勇太君―のお母さんが、ダウン症のお子さんを持つママ友さんと、互いの子の外見について「いいなぁ」と羨ましがるシーンがありました。
「いいわね、勇太君は。どこから見ても普通に見えるから」
「普通に見えて普通じゃないから困るのよ。あなたの場合は障害が目に見えるから配慮してもらえていいじゃない。いちいち障害を説明しなくて大丈夫でしょ?」
この逞しくも大胆な会話は、このお母さん達が「障害児を授かった悲しみを本当に長い時間かけて乗り越え今に至っているからこそ」のものだと、作者さんは書いています。
そして、気の置けない仲間だからこそ、こんな風に言い合えるのでしょう。
この本では、作者さんや勇太君のお母さんが発達障害のお子さんを持つ親御さんに強く勧めていることがあります。
それは、「とにかく周りに親の仲間を作りましょう」です。
勇太君のお母さんがもっとも辛かった時代は勇太君が保育園の頃で、当時は障害を受容しているようで受容しきれない時期だった上に、とにかく孤独だった。周りに同じような悩みを抱えている保護者も皆無。理解し、優しい言葉をかけてくれる方もいる一方、「うちの子は障害のある子と関わらせたくないわ」と返す親御さんもいたそうです。
毎日がしんどくて、勇太君と一緒に死んでしまいたいという想いにまで駆られるほど絶望したお母さん。それでも段々と、同じ悩みを持つお母さん仲間が増えていき…。
この本はそんなお母さん(達)の様々な体験と揺れる気持ちが軸になりつつ、勇太君の誕生から高校生になる現在までを、とても読みやすく、且つ淡々と綴っています。
そして、淡々と綴っているはずなのに、読者をぐいぐいと引き込んでいく威力がスゴイ。一読者に過ぎない私がまるでタイムマシンに乗りながら勇太君とお母さんの過去~現在までの日常を「すぐ傍で」「ハラハラしながら」見ているような気持ちにさせてきます。作者さんも書いておられるのですが、これは恐らくインタビューを受けたこのお母さんの語りが非常に上手いからだと思われます。
勇太君が先々で起こすトラブルを、お母さんは必死になって対処していくわけですが、一方では冷静に客観的に我が子を見て、考えて、次はこうしようという作戦を練る。率直に、「スゴイお母さん」との印象を受けます。
ですが勿論、挫けることも多々あって、そんなお母さんも当初は「こんな子じゃなかったら良かった!」と取り乱して病院の待合で泣き崩れたり、自分を傷つけるお医者さんを信用できずに、何件も違う病院をはしごします。
また、様々な療育機関であれをやらせたい、これを…!と夢中になり過ぎてお医者さんに叱られたり。実に様々な経験をされているのですが、その中で段々と勇太君との生活を楽しんで、本当は「天才児が欲しかった」のだけれど、今の勇太君でなくなるなら、それは自分の息子ではないから(天才児は)いらないな、と思うまでに至る…。その過程がごく自然に語られて、こちらもごく自然に頷いてしまう。とても素敵な母子の物語なのです(※勇太君のお母さんはシングルマザー)。
彼らの周囲には、先述した通り、勇太君の障害を理解してくれる人も、また「全く」理解してくれない人も登場します。一番協力してくれるはずの家族(勇太君の祖父)から受け入れてもらえなかったところが、個人的には読んでいて最も辛い部分でしたが、反して、全くの他人である人の温かさにほっとすることもできました。
特に、勇太君がプール教室でパニックを起こした時の、指導員の先生の言葉は圧巻でした。パニックになった理由は省略しますが、勇太君は(以下本文より抜粋)、
「大声をあげてプールサイドをめちゃくちゃに走り回り、ズラリと並んだベンチを次々にプールに投げ込んだ。水着を脱いで真っ裸になり、シャワー室へ飛び込んだ。そこでプッシュ式の泡の出る石けんを押しだし、すべて床にぶちまけた。」
…ベンチって多分あの横長の椅子のことだと思うのですけど、その光景を想像するだに、ごくりと息をのんでしまいます。そしてそんな大惨事(敢えて大惨事と書きます)があったにも関わらず、プール教室の先生はこう言ったのです。
「勇太君はベンチをプールに放り込んで、自分でとんでもないことをしてしまったと反省したんですよ。それで、その事態を無かったことにしたいと思って石けんで洗い流そうと思ったんです。そう思いますよ。」
こんな素敵なことを言える先生になりたい!!と、心底思いました。先生、素敵過ぎますね。きっとそうなんだろなって思えてきますし。
ここのプール教室では、勇太君は10年くらい通い、しかもその節目の年に「事件」が起きたりと…まぁいろいろあるのですが、最初、勇太君に「水泳を習わせたい」と思ったお母さんが、いろいろなスクールを何件も門前払いされて、時には罵声まで浴びせられて、凄く悲しく悔しい思いをした出来事も書いてあるので、ここでの10年間って本当に大切な思い出なのだろうなと感じ入ります(本当にのめり込んで見入ってしまう・笑)。
物語は、勇太君の「守られていた学校生活」が終わりを告げ、自立~お母さんとの別れを意識する「学校以外の場所探し・就職」問題に直面するところで終わっています。お母さんが勇太君と離れて暮らすのが嫌だと思ったり、でも自分の亡くなった後のことも考えていかなきゃと思ったり、胸が締め付けられる想いもするのですが、それでも最後には明るい未来を感じさせる本です。「障害」を持つお子さんの親御さんや、その家族を支える人々の応援歌のようにも感じました。
ハードカバーで一瞬読むのが大変そうに見えるのですが、先述した通り、とても読みやすいです。「読みやすい本」って、文字量だけでなく、作者さんの筆力がかなりというか大部分問われるわけですが、この本はそういう意味でも、そして「人」を身近に感じられるという意味でも、間違いなく読みやすい本です。お勧めです。