喋るサンドバッグ②
前回の続きから、「ハンディシリーズ/発達障害支援・特別支援教育ナビ/発達障害の子を育てる親の気持ちと向き合う」という本の感想です。主に前田先生が書かれた章について触れています。
何かと大人に「棘」を向けてくる思春期の子ども達に、我々は「喋るサンドバッグ」となって彼らの表出しきれない気持ちを掬い取りつつ、しかし、明確な線引きはする必要があるというお話。
やたらトゲトゲと攻撃的な子どもと付き合うのはしんどい。それでいて、彼らはそうした攻撃対象の大人から離れようとしない。むしろくっつく(笑)。
ここで前田先生は、思春期の一番の特徴たる「激しい両極感情」について指摘されています。
〝親に反発はするが甘えてもみたい。あの人のこと大嫌いだけれど本当は好かれたい。かまって欲しいけれどそうされるとなんだかうざったい。そんな相反する思いの中で、不安定な心はいつもストレス状態、自分の気持ちが相手に伝わらないだけでなく、自分自身の本心が自分でもわからないストレスに、ついついイライラして言葉も荒くなる。答えの見えない彼らの言葉はウダウダとした屁理屈にしか聞こえず、忙しい時間の中で心ゆくまで絡み合っているゆとりはお互いにない。そこで一様に簡単な言葉で彼らは気持ちを投げ捨てて終わってしまう。〟
自分でも分からない自分の感情に翻弄されるって、そりゃあ疲れますね…。これって大人にも普通にあることだと思いますが、大人の方がまだその「分からないことを知っている」分、子どもよりは己をコントロールできるかも(何やら話が哲学的…?)。
しかし、この「両極端の感情」というものについて考えると、大人を「嫌い」という気持ちもあるはあるけれど、行き着く先には「嫌いじゃない」もあるんだよね…という、実に当たり前の結論に行き着きます。
処理しきれない気持ちがたくさん渦巻く中で、大人からの「正論」にイライラしたり、こいつむかつく!うぜえ!消えろ!となったとしても、思春期の彼らには「両極端の感情」が激しくあると言うのであれば、良い方だけを拾って「そんな風に言っているけど、でも実はお前さん、私のこと好きなんでしょ?」って思いながら対応した方が断然ラク(実際にそれを口に出して伝えたら発狂されて本気で嫌われると思いますが…笑)。
何というか、大人が目に見える「棘」だけに気を散らして、まんまとムカッ!としたり、「なら知らん!」とコミュニケーションを放棄したら、それこそ良い関係性に向かえないことが明らかならば、「両極端感情」を念頭に置いて接してみると、支援する側の気休めにはなるかも…なんて思いました(いや事実、両極感情あると思いますしね)。
そして、「本人も気づいていない」感情について、そこを丁寧に拾ってあげることで、そこに眠る成長の芽を見出すことができると本章では語られています。
〝反発されながらも受容されたい自分の中にあるもう一つの感情に気づくことで、言葉や行動の奥にある見えないものを想像することができるようになり、やがて他人にも自分と違った感情があり、そのまた奥にも別な感情があるのかもしれないといった複雑さを学ぶ絶好の時〟
大人側の辛抱強い関わりによってそれが得られるということです。なるほどなぁ。唸りました。これがSNSだったらきっとイイネを押しております。
そんなこんなで、誰もが一様に通る思春期における「棘」に対して、そこに悪意ばかりを感じ取って大人が過剰反応し、キレたりお説教かましたりはしないよう気をつけてね、ましてや、「話しても通じないから無駄!」と拒否しないでね―…そういうメッセージを受け取りました。
また、これはよく言われていることではありますが、
「心は傷つきやすい彼らにとって、汚い言葉、厳しい言葉は精一杯の防衛である」
と言うことも。
支援する側が常に肝に銘じておかなければならない点でしょう。
発達障害を「発達機会喪失による障害だ」といった人がいるそうです。
発達に凸凹があると「配慮」や「遠慮」という形で、同世代が経験し得る機会も逃されてしまいがちだと。勿論、配慮があることで避けられるトラブルもたくさんあることは事実だけれど、一方で、そうした中では「社会性や言語性の発達機会は著しく損なわれることになる」という指摘もあって、ここでも深く考えさせられました。確かに、守りすぎることで学ぶ機会が狭められることってあるかもしれません。何事もバランスが大事ですね(だって、だから「守らなくていい」ってことには絶対ならないですし)。
この本を読んで、やはり一言で「支援」と言っても並大抵の覚悟では務まらないと改めて感じたわけですが、同時に「やはり」というかで、対応をしくったから「手遅れ」とか、「やっても無駄」ってことがないのも間違いないな…と改めて感じました。別に気づいたその時から始めればいいだけで、子どもの成長速度や変化の仕方って千差万別だから、大人の気づきひとつ、態度の変化ひとつできっと良い方向に行くこともあると…。というか、そう思っていないと、進んでいく勇気が持てないですよね。
対応するための「ノウハウはない」けれど、そして我々大人は「サンドバッグにならないといけない」けれど、その対価として、その先に子どもの驚くべき成長を見られる瞬間があると思うことが大事なのかなと感じました。
それでも疲れてどうしようもなくなったら、別の誰かに「ちょっとこの子見て」って分担すれば良いです。ご家庭や学校では、何かとどちらかの親御さんや担任の先生ばかりがつきっきりってことが多いですし…。いろいろな大人が関わることが大事ですよね。
その機会のひとつとして、「わたる」のこともご活用下さい。…時には、例え相手が子ども相手でもムキになってぶつかりますが…。だって我々は「喋る人間サンドバッグ」ですから。