小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

喋るサンドバッグ①

「ハンディシリーズ/発達障害支援・特別支援教育ナビ」から、一冊の本をご紹介します。子どもと多く関わる学校の先生や発達支援のお仕事をされている方が手に取ったら、きっと共感したり頷くことも多いのかなぁ…と思いながら読みました。


ここでご紹介するのは、そのシリーズのうち、「発達障害の子を育てる親の気持ちと向き合う」というタイトルの本です。1~10章まであってそれぞれ著者が異なり、各章を発達支援センターで働く専門家さんやフリースクールの先生、病院のお医者さん等が執筆されていて、それぞれの立場からそれぞれのご経験を元に、子どもさんや親御さんへの「支援」について言及されています。


その中で個人的に最も琴線に触れたのは、前田かおり先生が書かれていた第8章です。主に思春期の子ども達について言及されているのですが、本章では、この年代の子ども達というのは、何かにつけ、親や他の大人に対して「棘」を向けてくるとありました。


「問題をこじらせることがあたかもゲームであるかのように(略)攻撃的に他人の価値観を拒絶し、大人の知恵を拒否し続ける」


結構激しい書き方をされています。
ですがその「未成熟」さこそが、「自立に向かって動き始めた思春期の子どもたちの姿」であり、そういった子どもの「暴走しがちな自我」と、大人はどう向き合えばいいのか?と語られていて、その後の言い切りが爽快です。


「保護者も支援者もその場をうまくやり過ごすノウハウを求めがちだがそんなものはない」


そんなものはない!がーん!
……と、読んだ人の中には失望してしまうかも?私も若い頃にこれを読んでいたら「そ、そんな~、ノウハウ、ないんかい!」と思ったかもしれません。
ですが、これは決して絶望的な内容でも、答えを出さない放り投げの文でもなく、ノウハウはないけれど、大人はぶつからなくちゃいけない、ということは書かれているんですね。とにかく真剣にぶつかり合えと。そのやりとりこそが、彼らのそうした大人との体験こそが、子どもの「その後の人格の中核を形成する」、それを忘れずに「子どもとつき合うことしかない」と続けているわけです。そのためには、時にサンドバッグになりながら、そしてその痛みを伝えていく覚悟を持つことが大切なのだと…。


ここでミソなのは、サンドバッグになる必要性を唱えながら、しかしこちらの痛みもきちんと伝える、という点です。サンドバッグって、本来一方的なものじゃないですか。無抵抗の物ですもの。左の頬を叩かれたら、右の頬を差し出せ…的な(違)。
でも我々大人は「喋る人間サンドバッグ」だから、ここでは喋ってもいいのです(笑)。この子には障碍があるからと、ただひたすら「受容する」「耳を傾ける」だけというのは、それは違う、と。前田先生の文章を一部抜粋します。


〝大人にだって言い分がある。言われたら辛い言葉もある。相手の許容量を考えて無駄なことは無駄と悟った上で、伝えるべき事をきちっと整理し、一貫性を持ってぶれずに子どもたちにぶつけていく態度が大切である。「この子は発達障害だから言っても分からないだろう」と伝える努力をあきらめるのは、障害理解ということばのもとに時に相手の成長する機会を奪ってしまうことになっていないだろうか。〟


何を言っても「やだ」とか、或いは「無視」とか。一見、こちらとの良好なコミュニケーションをシャットアウトしているように見える子どもでも、「この人とは話しても大丈夫」という安心できる土台(信頼関係)を築くことができれば、そのうち対話できるようになる。会話が成り立つ。であるから、まずはその土台を構築する。子どもが安心を保障され、話をしても大丈夫だと思えるような環境を整える。その上で会話を始められると、子どもたちはその機会を経て、自分なりの価値観や「折り合い」といった社会性を獲得していくのではないかと。
そして、その時期の会話は「正論や正解である必要はない」とも書かれていました。正論…むしろ、こっちに「がーん」とします(笑)。私は結構正論をぶっ放したがるところがあるので、ここは本当に気をつけたい…読んでいてとても自戒できました。


理不尽なことを言ったりやったりする子には、ついつい、「何でそんなことするの」「どうしてなの」とうんざりした態度を取ってしまいがちです。そして、「〇〇すればいいじゃん、どうしてそれができないの?」と、こちらからしたら、至極当然の言動だったり一般常識だったりを示唆してしまいがちですけれど、きっとその時点でもうコミュニケーション不全は起きているのでしょうね。そもそも「うんざり」が入った時点で、きっとその正論は意味を成さなくなっているのだろうし。
「ぶつかる」って言うのは、こちらの気持ちを正直に向けるということではあるけれど、感情の赴くままに怒鳴ったり、呆れたりを見せることではなく、相手が言い放ってくる、時に痛い言葉に耳を傾けつつ(=サンドバッグになる)、譲れないところははっきり明示し、嫌なものは嫌だと伝える。けれども、子どもが放ってきた言葉の意味や気持ちを理解したいのだという姿勢も見せる。この章を読んで、そういったバランスが大事なのかなぁ…と思ったりしました。


この章は他にも感じ入った部分がたくさんあったので、次回またこの続きを書きたいと思います。


×

非ログインユーザーとして返信する