お土産は宿題
ブログをサボりまくり、申し訳ないです。ここのブログを開設してから初めて、先月は1度も記事をあげられませんでした。反省し、これからガシガシ更新していこう!という気持ちだけはあります(……)。
唐突ですが、本日のテーマは宿題についてです。
なぜ宿題などというものがあるのか…。
本当、この世からなくなってしまえばいいのにって思うこと…ありますよね?
ごん塾長もしょっちゅう、「やりたくないなら、やらなければいいじゃん!!」と思っています。「勉強」って本来、自分で「やりたい」と思ってやるものですから。もしも宿題が「義務」だと感じるような類のものなら、そんなものはなくしてしまっていい。後ろ向きの勉強なんてまったく身につかない……とも言えないけれど(無理やりでも身につくことはたくさんある・笑)。
それでも、「率先して学ぶ」こととの吸収率の差と言ったら…。
「やらされている」(と思ってしまう)時の精神的負荷と言ったら…。
そのせいで勉強に対して誤解して、勉強を憎むようになって欲しくもない!
宿題が好きではないけれど、「自分には必要なものだと思っているから、やる」という人もいると思います。素晴らし~。それは宿題を自ら選んでやっているということですよね。そうして取り組んだことは、きっと力になります。
「わたる」の場合、教室で習ったことをおさらいする時間が圧倒的に足りないと思われるため、自宅でも反復学習する「きっかけ」として宿題を出しています。
従って、自分できちんと復習できたり、他の学習も率先してできるなら、宿題を渡す必要はないと思っています。
また、今どうしても打ち込みたい別の勉強があって、それをやるのに忙しい!という人も、宿題は最低限で良いと思っています(授業の復習はしてほしいので「なし」にはしないと思いますけれど)。何を置いてもやりたいことがあるって素敵過ぎます。どんどんやったら良いと思う。
でも、自分で考えて勉強するってとても難しいですし、やりたいことだって、そんなにすぐ見つかるものでもない気がします。そういうものを見つけるために基礎学習が必要って考えもありますし。
それで授業後、「お土産だよ~」と愛情たっぷり(?)宿題を渡そうとするわけですが、「要らない」「おつかれさま~さようなら~(スルーして帰ろうとする)」「これはお土産じゃない(怒)」「………(黙ってため息をつく)」…な~んてリアクションを取られることもあり、そうされるとごん塾長は心が傷ついて、3日は眠れなくなります(嘘)。←寂しいのは事実だ!
で、そんな時はいつでも、「私は〝無理やり〟は好きじゃない! そんなにやりたくないなら、宿題なくしたっていいんだよ!?」……と、いう言葉が口から飛び出しそうになります。…なるのですが、そこをぐっとこらえて、「やりな~~~!!」と渡します(ヲイ)。
だって万々が一、「やりたくないのね? ならやらなくていいよ」などと言った日には…。
「やったーじゃあ要らなーーい」となって、本当になんにもやらない子も出てくると思うのですよ。
え?たった今、「やりたくないなら、やらなくていい」って言ったじゃん、ならそうなっても別にいいのでは?と思われますよね。
いいわけないのです。(これまでの話は一体)
時々キリッ!と、
「私は、無理やりは好きじゃない。でも、君にとって無駄だと思うことをやらせているつもりもない。だから、やった方が得だとは言っておく!」
うざああ~~~~…と、言われる(or思われる)ことは承知で、そう伝えることもあります(笑)。
でもね、本当にそう思っているから、そう言うしかないわけでして。ちゃーんと考えて作っているのですよ。意味があります。今!この問題を!出している意味が!!
そんなこんなで、今日も元気にせっせと宿題を作るごん塾長なのでした。そうだ、きっとそれで忙しくてブログが書けなかったんだ!(ひどすぎる言い訳)
いつの日か、「宿題!?やったー!早くください!」などと言われてみたいものです(催促したらみんな言ってくれるとは信じている・爆)。