小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

「書かなくて良い」とは思わない

最近少し…いや、大分(?)気になっていることがあります。
こういう仕事をしていると、担当するお子さんの中には「書くことが苦手」「鉛筆を握るのもイヤ!」というタイプの子がいます。いわゆる書字障害から書くことの失敗が多く続いてそうなる場合と、障害の有無に関わらず「学習」に対する忌避感からそうなっている場合と…その他、事情はお子さんによって様々です。


小さな学習塾「わたる」では、「勉強=イヤなもの」という「誤解をなくしたい!」という目的を第一義に存在していますので、こうした状態のお子さんに、いきなり鉛筆を握ってガリガリ書くことを求めたりはしません。
「わたる」では体験入学の時からすでに「ここは勉強をするところ」であること、「学習塾」であることを伝えていますけれども、その「塾」という字ヅラ(笑)と、書くことの強要をもって、「あ~ここも同じか」とスタートダッシュからつまずいてもらいたくないわけです。「書く作業」がなくても勉強はできますしね。


けれども、だからといって、「じゃあ書かなくていいのか?」と言ったら、答えは絶対的に「NO!」です。「わたる」では学力向上のために「書く」訓練は必要だと考えていますし、そのため、必ず行います。


しかしながら、最近巷でよく聞くことに、学校などで親御さんが先生から、「Aさんは書くことが苦手な特性があるのですから、無理にそれをやらせる必要はありません。これから先はパソコンが使えれば良いのですから」と言われ、書く練習を「全く」しない…という話がありまして。そして、家でもタブレットやパソコンの操作に慣れていけばいいと、自宅でも一切書くことをしないと…。(※それでやっていることが、YouTubeでゲーム実況等を延々と鑑賞するだけだと…それって文字入力の練習になってる?多少はなっているか!?汗)


勿論、学校は集団授業ですから、他の子より書くのがとても遅い、或いは書きの作業をしていると先生の話が耳に入ってこない…というような子に、タブレットで板書を撮影して後からそれを写すとか、あまりに板書量が多い場合は、プリント補助など先生に工夫してもらい、授業中は最低限の書く作業に留めて話を聴くことに集中する…といった配慮は必要だと思うのです。合理的配慮というやつですね。


でもだからと言って、タブレットで撮影した板書を「見るだけ」、すでに書いてあるプリントを「見るだけ」では…。私は、生徒さんの本来伸びる力を阻害してしまうのではないか?と心配になってしまうんですね。
全くやらなくていいって、そういうわけにはいかないと思うのですよ。そして、もっとやれば伸びたかもしれない学力の可能性の芽を摘んでしまいやしないか…と、そう思ってしまうのです。


そんなことをモヤモヤと考えていた矢先、ネット(BI PRIME)で国立情報学研究所教授の新井紀子先生のインタビュー記事を読みました。
そこには(日本の)子どもたちの読解力低下についての見解が書かれていたんですね。とても勉強になりました(先生の本を早速注文!笑)。


記事は、昨年末にPISA(15歳を対象にした学習到達度調査)の結果で、日本は読解力で前回の結果(8位)から大きく順位を落とし(15位)、新聞等にも多く取り沙汰されたけれども、それを受けてのインタビュー内容でした。


新井先生はお話の中で、順位が落ちたことよりも、この結果に対しての「戦犯探し」の記事が多かったことや、学校に「1人1台タブレットを導入すべし」というような「拙速な結論」の多さに呆れてしまったと仰っていました。
読解力の低下=タブレット導入というのは何で??と思われる方も多いと思いますが、PISAを解く際にPCを使うので、その操作に慣れていない=コンピューター教育が遅れているせいで順位が下がった!と指摘する有識者がいらっしゃったとのことで。新井先生はどちらも「議論が明後日の方向へ行っている」と、危機感を述べられていました。※そして記事中にもありましたが、同じPCを使って解く数学は6位(笑)。


新井先生の著書には、読解力を上げるためには板書をするなど「書く」行為をさせる、つまり「昭和的」な教育の方が効果も上がった、という実例が書かれているそうです。


さらに先生は、私たち大人は自分が子どもだった時代に読み書きを「自然に」身につけたと思い込んでいて、だからこそ、自分たちの子どもにも放っておけば「それくらいは」できるだろうと信じているけれども、自転車もただ乗れるようになるわけではないのと同じように、字を書くというのは相当な集中力とトレーニングが必要だと述べています。


そして、しかしながら現代の日本社会においては、子ども達がそのトレーニングをする機会をどんどん減らしてしまっている(便利な世の中になったことにより)と…。※因みに先生は、本来ならば小学校3、4年生くらいまでに、先生の話を聞きながらノートが取れるようになってほしいけれど、それが難しい状況になっているとも仰っていて…公教育の現場を見知っている方だったら、思わず「えぇ~!」という驚嘆の声が出てしまいますよね(笑)。


加えて先生は、今の子どもたちは手先を細かくコントロールしなければならないようなタスクが家庭内で減っていることも指摘されていました(故に手先が不器用な子が多い)。
結果、小学校に入学した時に、掃除で雑巾をうまく絞れない、トイレでお尻を上手に拭けないといった子がちらほらといて、そういう子が字をマスの中に書けるかというと難しいし、定規で上手く線を引くのも同様。であるから、「ノートに定規で線を引いて」と指示すると、全員が書き終わるまでに何分もかかってしまう。⇒結果、先生はノートを書かなくていいようにプリント中心の授業にする。⇒すると、ますます字を書かなくなり、手先がコントロールできなくなるという悪循環が生まれる…と述べられていました。


…先ほども書いたのですが、先生が授業をうまく進行させる為に、上記のような配慮をすることは必要というか、もうやらざるを得ないと思うんですね。
しかし、その支援に甘んじたまま、書く機会を少ないままにして良いかというと、それは決して良くない、と。そういうことだと思うのです。やはり、自分のペースでも、ゆっくりとでもいいから、書く経験はどこかで積むべきだし、それが「苦行」などではなく、「楽しい練習」になるのなら、それがベストなのでは?…などと思ったりしました。


因みに、PISA調査で目指している「読解力」とは、「複数の情報、複数の長文を批評的に読んで、自分の立場を明確にすることが求められている」そうです。新井先生も、これは15歳が今後生き抜いていく上で目指す読解力としては正しいと仰っていました。
けれども、このレベルの読解力に「突然」持っていくことはできないわけで、「その前に」基本的な読み書きができないと困る…というお話なのでした。


記事には他にも興味深い先生の話がたくさん載っていたので、また機会があればそれについて言及したいと思います。
そして結論としては、「わたる」でも通ってきて下さる生徒さんに「楽しく」「書く」作業をしてもらわなければ!と決意を新たにしたのでした(笑)。


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