小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

それはどうしても欲しいものなのか?

「わたる」という個別学習塾を立ち上げてからはや5ヶ月ほど経過しました。教材に関するものや、休み時間用の知育玩具、「わたる文庫」に並べたい本などなど…。欲しいものがたくさんあります。
しかしこれらは、コピー用紙やインク、トイレットペーパーといった、いわゆる「ないと絶対困るもの!」ではありません。


でも、欲しい(笑)。


これが物欲ってやつか…としみじみ思うわけですが、今はIKEAのサメ(のぬいぐるみ)が欲しくてたまりません(何故)。暫くしてこれが「わたる」に置いてあったら、会員さんは「塾長、あの時の物欲に負けたんだな…」とそっと思ってもらえましたら幸いです(ちなみに、当たり前ですがサメは経費で落ちません自腹です・笑)。


自分では「物欲」というほどのものは、子どもの頃から「そんなにはない」と思っているのですが、周囲の流行りに乗って、「みんなが持っているから私も欲しい!」と、あれやこれや親にねだることは人並にありました。


とはいえ、子ども時代に必死に集めたものは、「給食の牛乳瓶についているフタ」とか、「珍しい形をした石」とか、そんなものなのですが…。


お金がかかる物で必死に集めたのは「珍しい柄の鉛筆」です。これは時代により、その地域によりブームも様々かと思うのですが、「文房具」というものは、どうにも子ども心をくすぐるアイテムが多いように思います(大人も?)。
ただ、そうして夢中になって集めていたのに、ある時、それを「欲しい、ちょうだい」と言った友だちにほとんどあげてしまったことがありました。当時のことをあまりよく覚えてはいませんが、恐らく私は、その子に嫌われたくなかったのだと思います。物をあげることでその子を繋ぎとめようとしたのかもしれません。
結局、その子とは小学校在学中に疎遠になりましたけどね。まぁそういうものですよね。


あ!そして、小学校高学年の頃に凄まじく欲しい物と出会ったのでした。
ズバリ、「ファミコン」!
当時は「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエスト」などが発売されたばかりで、クラスの友だちは勿論、国民的規模(?)で爆発的な人気があったと記憶しています。


しかしながら、私の親は、「みんなが持っているから」「流行っているから」と欲しがった文房具は比較的買ってくれても、同様の理由で買って欲しいとねだったファミコンは許してくれませんでした。ゲーム禁止。それで仕方なく、放課後は友だちの家に押しかけてゲームを見せてもらっていましたが、みんなやりたいから、あまりやらせてはもらえなかった。


みんな…というと語弊がありますが、クラスの大半が持っているものを自分は持っていない。会話に入れない。無理矢理入っても何の話か分からない。これはなかなかに辛いものがあります。
何より、「できない」からこそ、「余計にやりたくなる」。私にはゲームに対する無限の憧れがありました。


そしてそのまま、小学校~高校を卒業するまでゲームとは無縁。大学生になって、初めて親から、「これからは自分で好きに選んで買いなさい」と許可が出ました。
ただ、私の兄弟などは、大学生になったら「もう今さらいいかな」と、すでにゲームに対する興味を失っていました。子どもの頃はみんながやっていて、自分も何となくやりたい!となっていたけれど、やれないならやれないなりに違うことをして過ごせたわけで、私の兄弟にはゲームに対する熱が初めからさほどなかったのだと思われます。


しかし!
私は違いました。
大学生になってバイトをして、そのお金で初めて買ったものは、スーパーファミコンとドラゴンクエストⅥ。私の「長年ずっとやりたかった、欲しかった」気持ちは、何とも執念深く、小学校時代から延々と続いていたのです。怖いですね~。長年、抑圧されてきた欲望が蓋を開けたその瞬間…それはそれは恐ろしい大爆発を遂げるのです(言い過ぎ)。


まぁ、それにしても、これは大げさではなく、ほぼ一日中やっていましたね。寝るよりゲーム!友だちと遊ぶよりゲーム!大学よりゲーム!(コラ)
何て楽しいんだー!こんなにも素晴らしいものが世の中にあったなんて!!感動しきりです。
それでどうなったのかと言いますと、そのままゲーム廃人の道に……とは行かず、ひとしきり「思う存分やった」ら、落ち着きましたけども…大学1年の時は単位があまりに取れなくて、2年生以降は夜間の授業も取ることになりました(笑)。←笑いではない


今でもゲームは大好きですし、「先生、うちの子はゲームばっかりやって、全然勉強しないんです!」という親御さんの訴えを聞くと、「それはいけませんね!!」と一緒に共感できなくて困ることがあります。自分が人のことをとやかく言える感じではない過去を持つばかりに…。


ただですね。そんな風にずっと我慢していた欲望を大爆発させた経験を持つ私も、別段、子ども時代にゲームを買ってくれなかった親のことを恨んでいるとか、そういうものは全然ないのですよ。
むしろ私のこの「一度始めたらなかなか止められない」特性に合わせて、よくコントロールしてくれていたのかなと。そうして、自分で判断できる大学生になった頃に、「これからは自分で選んで良い」と自由もくれましたからね。


大人がある程度、抑制の利かない(或いは利かせることが難しい)子どもさんのストッパーになることは大切です。
それに何より。
あの時、すぐに与えられなかったことは貴重な経験だったと思っています。ゲームがやりたい、欲しいというその気持ちは、本物なのか?それは本当に欲しいものなのか?
恐らく私の兄弟は、それに対して「なければないで大丈夫」という結論に至り、私は、「うん、やっぱり欲しいよ、やりたいよ!」という答えになった。


何が言いたいかと申しますと、欲しい物というのは、少し考えてから得た方が断然良いのでは?ということです。
欲しい物がすぐに手に入ってしまうよりも、多少時間を置いてから手に入れた方が、それが本当に欲しいものだったのか実感できるし、いざそれを手に入れた時に本当に大切にするし、味わうし、感動もひときわだと思うのです。まぁこれは私の勝手な想いなのですが…。


これって、ゲームを買ってあげるのがダメ!という話ではないですよ。ただ、考える時間はあった方が良いと思うという話でした。


それはあなたにとって、子どもさんにとって、本当に欲しいものなのか?


私のように10年位お預けをくらうと反動が恐ろしいことになる可能性があるのでお勧めしませんが(笑)、「少し立ち止まって考えてみる」ことは、子どもさんには特に、経験させてあげたら良いのじゃないかな?と思います。


今日はまた一段と記事が長くなってしまいました。もう少し短めを心がけます。


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