小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

エスパーにはなれない

前回のブログでエアコンの調子が悪くなったことを書いたのですが、業者の人に、「基本、突如として猛烈に暑くなりますが、設定温度を20度にすれば、体感28度くらいで収まっているかも」と話したところ、「設定温度を30度のクーラーにしたらちょうど良いかもしれませんよ」と言われて笑いました。冬にクーラー…。そんな学習塾があるでしょうか!?(多分ない)


とりあえずエアコンは新調するとしまして…。
今日は「エスパー(?)」の話でもしようかと思います。
かなり前のブログに、大学で「あなたには超能力があるか否か」の心理学実験をして、私が「超能力あるかも」な部類に入ったというエピソードを書きましたが(笑)。
そこからふと思い出された、以前勉強を見ていた男の子の話を書いてみようと思い立ちました。仮に、彼をコタロウ君とします。


コタロウ君は気持ちの浮き沈みが激しい小4生。私と勉強を始めてかれこれ1年半くらい。注意散漫、書字が苦手。しかし語彙は豊富で、実年齢よりも大人びたところがあります。友だち付き合いは正直あまり上手ではなく、余計なことを言って相手を怒らせたり、逆に遠慮してだんまりを決め込み、後から抑えていた気持ちを爆発させることも…。


そのコタロウ君、ある日むっつりと、見るからに不機嫌な様子でやってきました。話しかけても返事はないし、しまいには机に突っ伏して動かなくなったので、とても勉強できる状態ではありません。
ただ、そうなるのも別段初めてではなかったので、「また学校か家で何かあったんだろうな」というのは予想がつきましたし、本人は私に不快な気持ちを隠しませんが、勉強時間中ずっとその態度を維持するのも難しいというか、変なところで気遣い屋なので(笑)、多分そのうち復活するんだろうな~と思って見ていました。


しかしその日は絶不調の時間がいつもより長かったので、「何か嫌なことがあったんなら、話してくれれば聴くよ」と言ってみました。いつもは根堀葉堀「どうしたどうした」と迫ると「話したくない【怒】」となるので干渉することは少ないのですが(することもある・笑)、今日は沈黙が長く「聞いて欲しいのかな?」と思って声をかけてみたのです。


すると本人が「〝嫌なこと〟なんてもんじゃない!」と返してきたので、「あぁ、やっぱり話したかったんだ」と思って、「何があったの?」と訊いたところ…。
彼は心底腹立たしいという風にキッと私を睨み付け、言ったのです。


「もういい加減付き合いも長いんだから、言わなくても分かるだろ?察しろや!」


……笑。こういう場面で思わず笑ってしまうのが私の悪いところなのですが、まさに「思わず」ぷっと吹き出してしまいまして……。
いや、良くないですよね。本人は落ち込んでいるし、怒っているのに。しかし私には私の言い分がありまして、「エスパーじゃないんだから、心の中のことは見えないよ」と反論したのです。


私:「そりゃあ確かに、これまでの付き合いで、あれのことかな?これのことか?って予想くらいはできるけど、正確に心を読むなんて無理だよ。逆にピッタリ自分の考えていることを当てられたら怖くない?」
コタロウ君「別に怖くない、気持ちくらい言わなくても分かれ。俺は先生の考えていることくらい分かる!」
私:「じゃあ今、私が考えていること当ててみてよ!」←大人気ない人
コタロウ君:「………【苛】」
私:「分かったよ、落ちている時に悪かったよ(汗)。じゃあ心を読むのは無理だけど、何に落ちこんでいるのか当ててみるから、違ったら言ってよ?」


そんな「子ども同士か?」というようなやり取りの後に、あれこれと彼が「落ちこんでいる理由」を指摘してみたのですが、そのどれも「違う」「そうじゃない」と当たりません。
…とはいえ、コタロウ君の顔を見ていると、段々と「ああ、百パーセント当たりではなくても、これ、かすってはいるのかもしれない」という感じがしてきます。
実際コタロウ君自身も、やがて私の予想したことに「ちょっと近いかも」等と言い出しました。そして徐々に、言われた内容から「少し足りない」と感じた部分を自分で補ってきて、「これが全部じゃないけど」と、ぽつぽつと自らも説明を始めたのです。


「これが全部じゃないけど」というのはきっとその通りで、それ以上は言語化が難しい部分だったというか、例えて言うなれば「人間は何故死ぬのか?」というような悩みに適切な説明の言葉が思い浮かばず悶々としていた…というものだったので、そりゃ~、小学生男子が大人に「(うまく言えないんだから)察しろ」というのは実にもっともだと納得したのでした。自分独りだけでそんな気持ちの落ちようを表現なんてできるわけがなかったのだと。


どんなに勉強したって、相手の気持ちを正確に読み取ることはできません。けれども、それを望んでいる相手に、自分が感じたことを伝えるだけなら、それはできる。それが仮に「ハズレ」だったとしても、そこに意味はあるのだと思います。本人が自分の気持ちと向き合う手助けになりますし、「手助けしたい」と思う人が傍にいるということを知ってもらえるだけでも違うと思うからです。そういうことを改めて感じたエピソードでした。
…ただやはり、昔出た私の「超能力者の可能性がある」実験結果は「違うな」と思った次第です(笑)。


「わたる」は勉強をする塾ですが、こうした「おしゃべり」も大事にしたいと思っています。
興味を持っていただけましたら、ホームページも見てもらえると嬉しいです。


×

非ログインユーザーとして返信する