小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

大人は楽しくない?

何気なくツイッターを見ていると、本当にいろいろな考えの人がいるなぁと思って面白く、下手をするといつまでも眺めてしまうのですが、これがスマホ依存というものでしょうか…!?


今日見かけた話でとても共感したのが、「若い人に〝楽しいのは今のうちだけ〟って言いたくない」という、あるイラストレーターの方の呟きです。
この方、幼稚園の時に園の先生から何気なく発せられた台詞→「楽しいのは今だけよ~。小学校に上がったら、お勉強とか大変なんだから!」に対し、「今もこんなに楽しくないのに、小学校へ行ったら、もっと楽しくなくなるの?」と思って暗澹たる気持ちになったそうです。
す、すごい幼稚園生だ…。


私が幼稚園の時のことでぼんやり覚えていることは、芋掘り遠足から帰ってきた時に、園庭で採ってきたお芋を袋から出しているシーン。
みんなで「何個採れたか」見せあいっこになったのですけど、何故だか自分の袋だけが泥まみれで汚れていて、取り出したサツマイモもみんなのとはどこか違う…。
すると目の前にいた先生が「ものすごく」憐れんだ顔で、「あ……ごんちゃんのおイモはみんな腐ってるね…。みんな、ごんちゃんに自分のを1個ずつ分けてあげて」って言ったのです。それだけ強烈に覚えています。←可哀想
恐らく自分の「ここで掘りなさい」って割り当てられた位置が悲惨なエリアだったんだろうな~と今になって思うわけですが、そういう悲惨なエピソードはところどころ覚えていても、幼稚園時代が楽しかったかつまらなかったかなんて感情は覚えていないですねぇ。ただ「行くものだから」行っていただけのように思います。


話が逸れました、イラストレーターさんの話でした。で、この方、絶望しながら小学校へ上がったわけですが、そこでも今度は「楽しいのは今だけよ」というようなことを言われ続けます。中学校へ行っても、高校へ行っても、「遊べるのは学生の今のうちだけ」「大人は大変なんだから」「いいわね~、若い今のうちに楽しんでおかなきゃ」…そんな台詞を投げかけられて、学生時代を割と「暗黒」な感じで過ごしていたこの方としては、「今もこんなに悲惨なのに、大人になったらもっとなのか!」と思う連続だったとか。
どうやら日本の学校教育が心底骨身に合っていなかったのでしょう、みんなと同じことができなくて、うまく空気を読むことも苦手で、常にクラスの誰かから陰口をたたかれているように感じる…。そんな社会生活にヘトヘトなのに、追い打ちをかけられるように、「楽しいのは今だけ、大人は大変」と教えられる…悲惨過ぎる。


ところがこの方が言うには、大人になり、社会人になって働くようになると、確かに大変なことはいろいろあるんだけれども、「あれ?今の方がラクかも?」と感じたそうです。多種多様な人間が集まる「学校」という場所よりも、自分の興味関心が学べる大学や、同じく、自分が志向した職場だと、同じようなことが好きな人が集まっているからか、明らか人間関係においても過ごしやすく、空気を読むのが下手なことも、20数年間で培った「経験」を元に、「今のタイミングでは笑っていこう」等と「学習してきた」ことが生き、若い時よりも過ごしやすくなったと。
だから、自分は、もしも今過ごしづらい想いをしている若い人たちがいた時に、「楽しいのは今だけで、大人になったら大変なんだから」なんて言葉は投げたくない、と…そう綴っておられました。


うーん、共感!
分かるわ~。頷くことしきりでした。ツイートをちらっと見ただけでも、共感の声多数。ということは、つまり同じような想いをしている人が結構な数いるということですよね。


確かに、学生は働かなくていいから、生活がかかっている大人よりはラクで、お気楽なのは今だけだよって言いたい「大人」の気持ちも分かる!(この不況では、最近の学生さんも遊び放題の人って減ったと思いますけれど…)
私自身も「勉強」というものの本当の楽しさを知ったのは二十歳を越えてからでしたし、自分で取捨選択できる学習スタイルになった高校時代(自由な校風だったので)と、義務教育の9年間を比べると、明らかに授業面では高校以降の方が楽しかった。


集団活動においても、何かと「連帯感」を重んじられる空気に馴染めなかった私は、学校生活というものが本当にきつく、周囲からも「そんなんで社会人になって大丈夫?」とさんざん心配されていましたが、何だかんだで、社会人になってからの方が「自由」を感じるようになりました。
勿論、大変なこと、責任を伴うことも増えたのですけどね。それでも、決して、子どもの時の方がラク、大人の方が大変って画一的には考えられないよなぁ~と思って。


子どもの頃って、「学校」が世界のほとんど全てだから、仮にこの世界に馴染めないと、何かもう自分は心底ダメ人間のような気がして、絶望してしまうこともあるかと思うんです。けど、「決してそんなことはない」って言うのは「事実」ですからね。


実際、学校では社会不適応の塊みたいだった子ども達が、大人になったら案外アルバイト先でうまくやって、そこで社員にまで上り詰めちゃったり、あれほど暴言を吐きまくりだったのが、お給料を貰って責任が伴うようになったら敬語もビシバシ使えるようになって、気持ち悪いほど(笑)礼儀正しくなって学校に遊びに来たりとか。そんな姿を多く目にしてきましたので。本当、もしも今が楽しくない若い子たちがいたとして、「楽しいのは、ラクなのは今だけなんだから、めいっぱい今できることしなきゃ!」とかは言いたくないなぁ…と、この方の呟きを見てしみじみと考えました。


ということは、大人の自分が、「今を楽しんでいます!」って風にも見せないと説得力ないよな…とも思ったりして。日々修行の身だと、それもなかなかに難しいのですが、楽しむところは楽しみたいなと改めて思ったのでした。


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