「神様の使い」を逃がす
昨日も自動ドア付近を、凄く大きな影がシュッ!と横切るのがチラ見えし、「あ~また虫さんかなぁ、何でこんな狭い階段を上って来ちゃうかなぁ」と思いつつ、窓の隙間に入り込んでバタバタしている何者かの姿を確認するため、外へ出ましたら…。
こんな子がいました。
※画像は「フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴」様からお借りしてきました(リンク⇒http://www.tousan13.com/)
あまりの大きさにぎょっとしましたが、向こうにしてみたら、さらに巨大な生物(人間)が突然近づいてきたことでパニックになったらしく、バタバターッ!!とはためいて窓の隙間から脱出し、暫しその周辺を飛び回った後、階段の上方にピタッと張り付きます。
そっちじゃなくて下へ行くか、今、窓を開けたから、こちらから出て行けばいいのに~と思うものの、とりあえず私がいては窓の方へは行けないだろうと姿を消します。
しかしいくら待っても天井から微動だにしないので、「うおー、気になって何もできん!」と思った私は、もう一度外へ出て、ほうきで、「そっちじゃなくて、窓!」と促し、黒い巨大虫さんは、バタバタしながらも何度かさまよい、飛び回った後、窓の外へと飛んで行ってくれたのでした。ほっ。
これを放っておいたら絶対に自力では階下へ戻れないので、いつしかこの場で野垂れ死ぬしかないわけで。従って、人の手で窓から逃がすしかないのです。
前のブログをご存じない方の為に補足しますと、以前にもこれと似たエピソードをブログに書いたことがありまして…。
その時は相手が人も怯まずにはいられない巨大バチ(アシナガバチ?)だったため、ほうきとちりとりで挟んでエイッ!と窓の外へ放り投げたのですが、それが傍目からすると、「あいつ、窓からゴミを投げ捨てやがった【怒】!」という誤解を生んだんじゃないか(汗)?と心配になりまして、以前はそのことを記事にしたのでした。
でも今回は、自ら出て行ってくれたのでめでたし、めでたしです。
その後、まぁあの姿形はトンボなんだろうけど、あまり見ない種類だし、ぶっちゃけ真っ黒で大きくて怖かった…。蝶で言ったら、蛾の方に分類されるやつかな?と検索してみましたら…、何と、かの虫様は「神様トンボ」と呼ばれていて、「神様の使いで縁起が良いとされている」トンボ様だったようです!「蛾的なやつ」とか言っちゃっていたわけですが、そうか~、森によくいる種類のようですが、この辺りにもまだそういうトンボがいるんだ~と嬉しくなりました。
正式な名前は「ハグロトンボ」と言うらしいです。
で、これを聞いた家族・友人からは、「縁起もののトンボなんだったら、外へ逃がしちゃダメだったんじゃない?」と言われたのですが…、先述した通り、逃がさなかったらここで野垂れ死ぬわけで、逃がすしかないのです。いいんです、ここへ上がってきてくれただけでも縁起良いじゃないですか!とりあえず縁起が良いというところだけ覚えておこうと思います(「自ら幸運を手放した」とか考え出すとロクなことがないですよ…笑)。
ちなみに私は、こういう言い伝えというか、昔から語り継がれてきたお話が大好きでして、細かいようですが、それは「迷信」とか「ジンクス」とはちょっと違います。あくまでも「言い伝え」が好きなんです。まぁどちらも科学的根拠がないと言えば同じような意味になるのかもしれませんが、やはり後者の2つとは違うと思うわけでして。
そりゃ~羽の長い黒いトンボが神様の使いって、何の証拠があって?とか言われたら困りますが…。きっとこのトンボが飛んできた時、その地域か人かに何か良いことがあって、それでそういう風に言われるようになったのかな~と思うと、そういうことから生き物を大事にしようって気持ちが芽生えるだけでも良い話じゃないですか。
ちなみに先日、職場で床掃除をしていて、クモがスタスタ歩いていたのですが、「朝グモは縁起が良いと言われているから殺さない」と放置。クモが苦手な人にしてみたら、見つけたならどうにかしておいてよ…って思ったに違いないのに。ですが、「朝見たクモに手を出すな」とは、小さな頃、親からよく言われたことでした。そしてナゾなのですが、「夜は泥棒グモだから殺していい」とも言われていました。見かけた時間帯が違うだけでそんなにも評価が変わるなんて…(笑)。
あとですね、これは言い伝えって言うのかな?虫の話ですらないのですが、「一粒の米には7人の神様が宿っている」から、絶対残さず食べないとバチが当たるってやつ!
これも子どもの頃からよく言われていて、目の前にゴハンを出されたからには、一粒の米でも残したら、神様を捨てることと同じだからイカン!食べねば!…と、やはり幼い頃から刷り込みのように脳内に植え付けられ、今もお茶碗に米粒ひとつぶでも残らないように食べますね。子どもの頃のこうした教えって強固ですよ。
で、昼食の時などに、ゴハンを何粒か残して「ごちそうさま」ってする生徒がいると、個人的に「ものすご~く」気になって気持ち悪くて、「まだ残ってるじゃん!米粒を残しちゃイカン!神様が7人もいるんだから!」と口走り、生徒から「?何言ってんの?」と不思議そうにされる、ということがよくありました。今の子たちはこの話を知らないのですかね?(恐らく私の年代の人々はよく知っているはず。学校給食で言わせてから食べさせる先生もいましたし)
しかし神様を食べるって…よく考えたらいいのか?って気もしないではない(笑)。
まだあります。「物には魂が宿っている」という話。大切に使うと百年後には物でも口がきけるようになる、ともよく聞かされました。そのせいか分からないのですが、例えば歩いていて椅子にぶつかって「イテ!」となると、その直後、私はその椅子に「ごめん」って言います。とりあえず物に当たったら物に謝る。これってヘンな人なんですかね…だから周囲に人がいると心の中だけでごめんって言ったり、物をさするだけで終わることも、大人になってからは増えましたが(笑)。とりあえず小さな頃からやってきたことなので、自分ではおかしなことではないのです。お陰で物持ちの良い人間として育つことができたので、そこは周囲の大人に感謝していますが(多分これは親から教わったことではないです)。
何でもかんでも手に入る便利な世の中ですが、人って大きいから、自分より小さなものをうっかり壊したり、或いは意図的に壊すこともあると思うんですね。
けど、ちょっとの気持ちでそういうのを避けられることもあると思うので…。子ども達にも、そりゃあ~小さい頃は好奇心で虫を殺したり、物を乱暴に扱って壊したりなんてことが多々あるとは思うのですが、「命」を意識できる機会がいっぱいあるといいなぁ~と思います。
そういう意味で、言い伝えみたいなものがふんだんに盛り込まれている昔話などを、大人が積極的に話して聞かせてあげるのも一つの機会ですよね。私もおばあちゃんのように、この手の話は繰り返して伝えたいと考えています。