小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

挨拶したら負け?

以前、研修に行かせてもらっていた病院で、何としても自分から挨拶しない先生方がいました。診察室のすぐ隣の部屋には、検査やカウンセリングをする臨床心理士さん達の控え場所があるので、朝、私がそこへ行くと、絶対どなたかとは顔を合わせますし、そしたら「おはようございます」と挨拶します。すると向こうも「あ、おはようございまーす」と返してくれます。普通の光景です。


しかし1年通って、この「先生方」と「心理士さん方」が挨拶し合っているシーンは、ついぞ見ることはありませんでした。毎日行っているわけではないので、私の見ていないところでしていたかも…その可能性もなくはないですが、単純に「忙しい」ということを差し引いても、普通にちょっと言葉を交わす場面にも遭遇しなかったので、「こりゃきっと相当仲が悪いんだな」とは、あの場に少しでも身を置いた人間なら、何かしらは感じ取れます(実際「最悪」だという証言も複数あり・笑)。


それにしても、いくら何かがあったのだとしても、挨拶しないってどういうこと?昔から「挨拶は人間関係の基本」と教わって生きてきたので、そういう状況にぶち当たるとモヤモヤします。仮に向こうから返ってこなくても、とりあえず自分だけでもしとこ?むしろ相手は関係ない、自分はする人間だからするってスタンスでいこ?ってなる。


…でも、あの場にたった1年しかいなかった私でも、何となく分かる。心理士さん達はきっと心が折れたのだろうと。本当にあの先生方が嫌いだから、「おはようございます」のたった一言でも、発することに激しい抵抗があったのだろうと。
だってあの先生方に挨拶しても、「ああ」とか「うん」しか返ってこないし。元々の性格が横柄だし。医者以外の職業を見下していたし。むしろ、先生様が「ああ」でも返してやるんだから感謝しろってな感じだったし。私は勉強させてもらっている身でしたから腰低く(笑)挨拶しましたけど、利害関係なかったらどうかな~、途中で挨拶するの放棄したかもな~って思わないでもなかった。だから、心理士さんたちの気持ちは分かる。それでもシカトはダメだけど。


ただそういう「無礼だな~」と思う人って、世の中に割といますよね…。だから仕方がないってことにはならないですけど、そういう人が結構いることは事実。これが会社の上司にいたとしたらもう災害レベルですわ。人に挨拶だけさせて自分は返さない、何せ自分は「偉い」と(勝手に)思っているので、「だから俺は挨拶しなくていい」がその人の一般常識。
で、そういう人たちって逆に、目の前に一国の大統領とか首相とか天皇陛下が現れたら、自分から頭を下げると思う。アントニオ猪木みたいな、屈強のプロレスラーにも挨拶するかも。何故って、そういう人は自分より「強いか弱いか」の視点で生きているというか、もっと言えば、自分より地位(権力)があるか否か、お金持ちか否か、物理的パワーがあるか否か(腕っ節の強さ)という、分かりやすい指標で相手を評価し「偉ぶるべきか従うべきか」を判断する傾向にある(と思う)から…。
それって一見、人としてどうかと思わないでもないですが、弱肉強食の世界で生きる生物としては、本能的な生き方をしていると言えないこともない…のか?
あ、勿論、「偉い人」でもきちんと美しく挨拶される方がたくさんいることも知っています、念のため。


ところでですね。今日は「そういう人たち」のことを書きたいわけではないのです。挨拶しても返さない、非常識だなこのやろう!こんな大人には、みんななっちゃダメだよ?…って、そういうことが言いたいわけではなくて(それも言いたいけど)。


別に自分のことを偉いとも何とも思っていないし、むしろ、どちらかと言うと自分は何てダメな奴なんだと思っている節があるけれど、「挨拶できない子」の話がしたいなと。


これまた私が過去付き合ってきた子の話になるのですけど、挨拶が出来ない子がいまして。親御さんにどんなに促されても、そうされればされるほど余計にそっぽを向き、唇を固く引き結んで意地でも挨拶しないぞ!って感じの子。ここで一言「おはよう」を言おうものなら、その場で命を取られるみたいな、いっそ決死の想いすら感じたりして…。


まぁその子は挨拶も何も、終始口をきかない子だったので、最初は「場面緘黙」なのかな?と思ったのですが、互いの存在に慣れたらべらべら話すようになり、そこで「俺は話すのが苦手なんだ」「だから話すことが面倒になって、もういいやってなる」まで言語化できました。また、話すことは苦手だけど「友達と上手く話せるようになりたい」と率先して練習もしたがるし、「何が何でも話さない」の意思を示すのは挨拶の時だけなのです。
そう、楽しくおしゃべりできて、自分の弱いところもきちんと認めて話ができるのに、「挨拶」だけできない。だから大分打ち解けて来た頃に、最初の時も言ったけど、こっちがこんにちはって言ったらこんにちはって返して欲しいし、なるべくならさよならも言って欲しいよと希望を伝えたんですね。


そしたら、「無理」って言うんです。何故と聞き返しても「できない」の一点張り。ええぇ何で?意味が分からない、「こんにちは」「さよなら」を口にすることが何で無理?だってこっちが言っているのに、返さないでシカトってさ、やっぱり良くないと思うんだよ、と。なるべくやんわり伝えたつもりなのですが、「なら先生も挨拶しなくていいよ」と(笑)。いやいやいや…って感じでしょう?
で、何か挨拶に恨みでもあるの?挨拶したことでよっぽど恐ろしい目に遭ったとか?と何気なく聞いた時、本人はふっと黙りこみました。


とはいえ、当人も頭では、「シカトは良くない」という道徳観があるらしく、特別に「挨拶しなきゃ」と意識しないでいる時なんかは、何気なく「じゃーね」を言った私に、とっさにというか反射的に手を挙げてふりふりしたり、目をこちらに向けて頷くとか、そういうのはできるようになりました。
でも、親御さんがいる時は絶対しないし、ましてや親御さんが、「ほら、先生がさよならだって!」とか言った日にゃ~絶対やらない(笑)。とりあえず、促されたら絶対やらないですよね、「言ったら負け」というような謎の負けん気が発動されて…。本当に一体何があったんだ、彼にとって呪いの言葉なのか挨拶は?…まぁそう思うと、私も無理には挨拶しろしろ言うのはやめました(自分からの挨拶はやめませんが)。


結局、今に至るまでその理由は分かりません。心理の勉強したら子どもの気持ちがみんな手に取るように分かるなんて……そんなこと、あるわけないです(汗)。
ただやっぱり、「何かがあったんだろうな」と、少なくともその子には感じました。挨拶をしたことで、本人にしてみたら強烈にショックだったか、嫌な思いをした経験があったのじゃないかと。親に促されてする(=命令に従う)ことに抵抗感があり、だからそのしつこく言われ過ぎた事柄(=挨拶しなさい)に拒否が強い、というのもあるかなぁ…と思いつつ。
でも、何か事情があるからこの子は挨拶しなくていいって、周りの人間全部が理解してくれるわけじゃないから…。必要な時には、最低限の挨拶や礼ができるようになって欲しいなと思うと、きっと今後も、私は彼のような子には挨拶し続けるだろうし、時々は「返してよ~おいシカトかよ!」なんて言いながら、挨拶を促すと思います。


それにね、何となくその子も、手を振れた時とか相槌を打てた時は嬉しそうだったから。「あ、やれたよ」って顔をしていたから。やっぱり大人の側が、できないことに眉をひそめたりしないで、子どもがどういうリアクションでも私は挨拶するよ!ってスタンスでいなきゃいけないなって思います。
シカトされる方の心的ダメージは、そりゃ大きいですけどね。


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