小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

習い事のはなし2

油断するとブログを更新しないままどんどん日が経ってしまいます。
本日は前回(前々回?)の話の続きで、「習い事」をテーマに記事を書きたいと思います。


この間は、地獄のピアノ教室について書きました(先生ごめんなさい…笑)。
ごん塾長がもうひとつ長くやった習い事と言いますと、絵画教室があります。これはピアノと違い、無理矢理ではなく、7年ほど通いました。
特に「習いたい」と言った記憶もありませんが、「お絵かき教室、行く?」と言われて、すぐに「行く」とは答えたようです。


ごん塾長、基本的に人見知りで、率先して友だちを作れるタイプではありませんでしたので、お絵描きは格好の趣味でした。
……ん?いや別に、人見知りな子が軒並みお絵描き好きになるわけではないですね。
ただ、ごん塾長の場合、「独りでやれる遊び」といったら「絵」だったのです。


絵画教室の何が良いって、人と話さなくても特段不自然ではないこと(笑)。
基本無口でしたからねぇ…。周りがわいわいやっていても、あまり喋らない子どもでした。
それでも7年近く通えば、話しかけてくれる友だちもできるし、好きな絵は描けるし、先生は煩いこと言わずに「大体」自由に描かせてくれるしで、この教室をやめたいと思ったことはなかったです。


絵が「うまくなった」とかは、正直、思いませんでした。例えばピアノだったら目に見えて分かると思うんです、弾ける曲が増えたとか、音域が広い曲でも弾けるようになったとか。いわゆる「できたー!!」みたいな手応えを掴みやすい。
学習塾にもこれと似たところはあるでしょう。この世には実に分かりやすい「テスト」というものがありますから、「やった分だけ点が取れた」というような、積み上げた努力を実感できる経験は得やすいかもしれません。


けれども「絵」というものは、そういう「うまくなった」といった感覚は得難く、むしろ「評価」というものが非常に難しい分野ではないかと思います。
例えば、学校では、「ごんちゃんは教室に通っているから絵が上手い」というナゾの先入観でもって手放しに誉められることが多かったですが、逆に「教室に通っている」事実がなかったら、きっと「上手い」なんて思われないんじゃないか?…な~んてひねた思いを抱いたこともあります(素直じゃない子ども・笑)。
何故って、クラスには、みんなから評価はされないけれど「自分より上手い」と思える子がたくさんいたから。
また、絵画教室には「抜群に上手い」と思える子―ここではAちゃんと呼びます―がいて、自分は絵を描くのが好きで、Aちゃんよりも前から先生に絵の描き方を習っているのに、Aちゃんみたいには描けない。イコール下手だ、という思いがありました。


尚、ここで言う絵の「上手い/下手」というのは、もちろん自分なりの基準でして、ごん塾長の場合、絵の上手さとは、「見たものをそのまま正確に描けること」だと思っておりました。今もそう思っているところはあります。
絵の好き嫌いは個人によりけりでしょうが、ごん塾長は、いわゆる写実派に心惹かれるタイプでした(習っていた先生がそのような絵を描いていたからというのもあるでしょう)。
そうそう!ですから、後にピカソ展、マグリット展などを観に行った時は「ドンガラガッシャーン!!」というような衝撃を受けたことを今も鮮明に思い出しますね。
「な、なんだこれ…、よく分からんけど、スゴイ…!」と思って(笑)。←ここらへんから絵に対する見方が広がったような…


話を戻します。まだそういうドンガラガッシャンな価値観がない頃のお話。


このお絵かき教室、本当に楽しかったのですが、ただ楽しいだけではありませんでした。
ごん塾長・羨望の的であったAちゃん。
このAちゃんから、あるとき、「ごんちゃんは凄いなぁ、いい絵だなぁ、いいなぁ~」……と、誉めてもらったことがありまして。
びっくりしたのですけど、そう言われたことがとても、とても嬉しかった。


学校の友だちに言われるのとは「ぜんぜん違う」感動がそこにはありました。だから今でもよく覚えているわけですが…。学校の子たちに言われる誉め言葉とは一体何がそんなにも違ったのか!?むむっ、何かここにもの凄いヒントが潜んでいる気がっ!(大げさ)。


同じ教室で同じものを見て描いているのに、全く違う絵を描くAちゃんとごん塾長。
そんな2人が、互いに互いの絵のことを「いいなぁ」と感じられていた、ということが、何やらとても良い経験をしたように思えてならないのです。これはピアノのような孤独の個人レッスンや、答えが一律決まっているテストなどでは得られない体験だったのかな?と感じます。


学校では「比べる」ということが何かと問題になりますよね。「比べられる」ことの苦悩、みたいなものが取り沙汰されることはよくあると思います。実際、比べられて優劣をつけられることは辛いことが多い。
絵画教室でも、ごん塾長は勝手に自分とAちゃんの絵を比べて、Aちゃんは上手いのに自分は下手くそ…みたいになったりしたのですが、相手のものを「いいなぁ」と思えたこと、また相手からも同じ「いいなぁ」を貰えたこと、それを表明できる場があったことは、とても良かったなと思うのです。
そういうものを得られる場所は、別に学校でも、学校じゃない所でも、どこでもいいんです。ただ、そういう場所が1つでも多くあるとステキですね。ごん塾長の場合は、絵画教室で得られたということです。


ピアノはピアノで得難い経験をしましたけれど、絵画教室でも素敵な経験ができたというお話でした。


そういう意味では、「わたる」は現在グループも休止してしまっていますし、完全個人レッスンで、いわゆる複数人で切磋琢磨できる場所ではないので…。コロナが収まったら、交流会やりたいなぁ~グループワークもやりたいなぁ~と思っています(1年前から言っている・涙)。


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