言葉遊びは学習ネタの宝庫
早いもので9月ももう終わりなのですね。今年の夏は昨年以上にたくさんの虫さんと出会ったように思います。窓の外にある雨樋にて、ご臨終されているセミさんを何匹自宅に持ち帰り、庭の土に還したことか。
先日は換気で入口とは別のドアを開けた途端、上から「ぽとっ!」と、まさに「ぽとっ!」と音がしたかのような軽さで、わたくしの腕に落ちてきた黄色いヤモリさん(15㎝くらい!?)に、「ぎええええ!!」となりましたが、あれも今振り返れば良い思い出です。恐らくヤモリさんの方が驚愕したのは間違いないです、クネクネと一生懸命身体を捻りながら、いかにも焦っているのが分かる動きで、サササーッ!!と逃げて行かれて…。あの背中の色、いやに綺麗だったな(怖かったけど)。
そんな余談は置いておきまして。今日のブログは「言葉遊び」の話です。
先日、アマゾンプライムビデオで放送されている「なぎスケ!」という番組を見たのですが(大好きで毎週見ています)、前回は元NHKアナウンサーの登坂淳一さんがゲストで、なぎスケの2人と「日本語で遊ぼう」をテーマに、いろいろな遊びに挑戦されていまして。
これがまぁ、何とも面白い!大笑いしてしまいました。
どんな遊びだったかというと、まず1つ目は、「美しい日本語で書かれた日本文学を様々なシチュエーションで読んでみよう」と言うもの。
選ばれた日本文学(夏目漱石の「吾輩は猫である」)を、「ホラー調」で、或いは「任侠映画風」に、はたまた「青春映画のように」、情感を交えて読んでみよう!と言うのです。これが聞いていて、とても楽しい!同じ文章を読んでいるのに、その読み方や雰囲気を変えるだけで、全く違う作品のように感じられる。冒頭の文章を読んでいるだけなので、全く笑える内容ではないはずなのに、何故だか笑えてしまうから不思議です。
他にも、有名なヒット曲の歌詞を音読だけで当てるクイズもありましたが、わざと淡々と読んだり、大げさにシャウトつきで読んだりするだけで「え、聞いたことあるはずなのに、分からない!」となって混乱します。あの歌が、何だかおかしなことに!?となって、インパクト大。歌詞を改めて噛みしめてみたり、歌詞の音読も楽しいなぁと新たな発見。
また、違う遊びでは、与えられたニュース原稿を事前に30秒だけ見ることが許され、その後は制限時間内(±5秒の時差はOK)で見事読み切ることにトライ!読めなければ上からたらいが落ちてくる!…という、昭和のドリフ調罰ゲームのおまけつき。
さらに、辞書に載っている「意味の部分だけ」を読んで、それが何の単語の説明かを当てるクイズや、答えを知っている1人が、その言葉は口にせずヒントだけを出して、相手に何のことを言っているか当てさせるゲーム等々。
「言葉遊び」って、ちょっとシチュエーションを変えるだけでこんなにもあるし、こんなにも楽しめるし、また「これって全部、子ども逹の勉強に生かせるネタじゃないか!」と思いました。
教室でも是非やってみたいネタが満載でしたね。さすがに、「制限時間内に読みきれなかったら上からたらいが落ちてくる」まで導入したら、教室的にいろいろ問題が生じるので再現できませんけれども(笑)。しかし「燃えるシチュエーション」でのゲーム要素が感じられる音読だったら、少しは楽しみながら文章に親しめるかも…なんて思いながら視聴していました。
ある単語の周辺状況だけを伝えて相手に当てさせる、いわゆる「連想ゲーム」のようなものは、学校の授業でもちょいちょい見かけますよね(「スリーヒントクイズ」が有名でしょうか)。これは当てる側も楽しいですけれど、ヒントを考える過程がまさに「学習」であり、答えを口に出せない中で、「いかに相手に分かってもらう説明をするか?」を考えることそれ自体が、とても大切な学びに思えます。
今「わたる」でも、例えば「筆記用具とは何ですか?それを知らない人に分かりやすく説明してあげてください」とか、難しいところでは、「学校とはどういう場所ですか?それを知らない人にも分かるように説明してみてください」といった説明課題にチャレンジしている子が何人かいます。いろいろな言葉に対して、「そんなの、知らない人いないでしょ!」と、最初は面倒がってやりたがらない子でも、「小学校に入る前の、小さな子に教えてあげる気持ちで言ってみて」等と促すと納得し、考えて話し方を工夫してくれたりします。
また、そうした課題を通して、「知っていて当然」のことも、頭では分かっているけれど、いざ言葉にしようと思うと案外言えなかったり、ましてやそれを文章で伝える場合はどう書けばいいか?となると、余計に難しいことが分かったりして、「相手に分かりやすく伝えるって本当に難しい!」ということを実感してもらっています。
でもただ「難しい」のではなく、「伝わった時の楽しさ」も一緒に感じてもらいたいので、この番組で出演者の皆さんが自分たちでゲラゲラ笑って楽しんでいたように、子ども達にも面白がってトライしてもらう楽しい学び方をより一層研究しなくちゃな!と思いました。言葉を知ることは勉強というよりも、遊びに近い感覚でどんどん増やして欲しいですからね。