自分で考える時間に
緊急事態宣言は当初5月6日まで…とされていましたが、各所のニュースを見ると、この自粛要請は1年、或いは2年かかるという見立てを発表しているところもあります。
2年。に、2022年まで?
その間、人々の生活は、人間の文化的営みはどのように変わらざるを得ないのか。
絶望してもしなくても、どんな世界になろうとも、何とか適応して生きていくしかない…わけです…が、これまでの便利な生活に慣れきった身としては、気が遠くなるような長さです。よく生徒たちには「先を見る力、想像する力」が大切だと言っているのですが、自分の1年後、2年後はどうなっているのか?想像するのが難しい!
それでも考えることそれ自体をやめてはいけないわけで、難しいながらも思考を停止しないよう、なるべくポジティブでいようと心がけています。
ところで、長い長いお休み、しかも外へ自由に出歩いて良いわけでもない休みの中で、子ども達がどのように家での時間を過ごすのか?という問題は、各家庭でも深刻なのではないでしょうか。
学校によっては、先生が1件1件、生徒の家を巡り歩き、ポストに宿題を投函していき…終わったらまた新たな宿題をポストに…というような所もあるようですが…。しかも折角訪ね歩いているのに、生徒さんには会わないで帰ると聞いてびっくりです。徹底されていますよね。確かに、接触しない為の休校ですからね。
……で、でも、それなら電子メールで宿題送れば良くないですか!?
ここで、世界と比べて、日本の子ども達の「学習における」パソコン普及率が発展途上国並の数値、という現代問題が浮き彫りに…。
それはともかく、絵本作家の五味太郎さんが、ある新聞のインタビューで、コロナのせいで子ども達の心が不安定になっていると感じることについて訊かれた際、「それじゃ、逆に聞くけど、コロナの前は安定していた? 居心地はよかった?」と記者さんに聞き返していて、「おっ」と思いました。
五味太郎さんが言うには、「普段から感じている不安が、コロナの問題に移行しているだけじゃないかな」と。
いつも「『早く元に戻ればいい』って言われがちだけど、じゃあその元は本当に充実していたの?と問うてみたい」と。
確かにそうです。
普段の学校生活に何の不安もなく楽しく適応している子ばかりじゃない。というか、むしろほとんどの子は毎日何らかの鬱屈なり葛藤なりを抱えて、悩んだり不安を覚えたりしながら、共同生活を送っていたはずです(どんなにノーテンキな子だって多少なりそういうものはあるはず)。
だからこそ五味太郎さんは、「(学校も)ある意味で枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまらなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問い直すときじゃない?」と仰っていて…本当にそうだぁと頷きました。
今は大人も子どもも考える時期。今は時間がたくさんある。
「今こそ自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要だと思う」…この言葉にもとても共感。「考える頭」を育てる、でも時々サボる。健康な心身を作るのにとても必要な作業だけれど、毎日忙しく決まりきった毎日を送っていると、なかなかそうして「じっくり」考えを煮詰め「自分を作る」ことって難しかったと思うので。
もしかすると、今の子どもたちは「与えられる」ことに慣れ過ぎているかもしれません。
毎日学校があって、そこから宿題を出されて、残りの時間で流行りの動画を見たりゲームをしたり。待っていればご飯も出てくるし、そういう日々を繰り返すことが1年を通して見ると圧倒的に多い。
もちろん、勉強は子どもさんの年齢なら「学び取る」ことが断然多いですから、ある程度は先生から「与えられる」ことは当たり前です。でもその中で、「この勉強の内容はイヤ、こっちの問題の方が好き」とか…、そういう選択は積極的にしてもらいたいし、今はそれについて熟考できる機会なのだろうなぁと思うわけです(今はポストに一方的に投函される宿題をやらなきゃいけないわけですが、締め切りが明日とか急ではないわけだし、その宿題の中身からも、自分にとっての向き不向きを感じ取って欲しいな)。
そして遊び。これが重要!ずーっと家にいて、やることない、ヒマだ、何かくれー!遊べー!……と、親の腕を激しく揺するばかりにならないようにして欲しい(笑)。
そうではなくて、自分で時間の過ごし方を考え、想像、創造できるように身の回りにあるもので試行錯誤して欲しい。
そして、時々は何もせず、ぼーっとする。
そんな中で、自分が何をしている時が最も心地よいのか、どういうことが向いているのか、それを実感して欲しい。楽しい時間を見つけられたら、後はそれを全力で味わえば良いのです。だって今はそれをする時間が膨大にあるのですから。…あれ?これ前にも同じようなこと書いたなぁ(笑)?
でも、五味太郎さんのコメントを読んで、改めてそんなことを思ったのでした。