小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

文字を書くのを嫌がる子に

ミネルヴァ書房から発行されている「もっと知りたい!LD学習障害のおともだち」(内山登紀夫・監修/神奈川LD協会・編)は、可愛い絵柄の漫画形式で説明されている書籍で、それぞれ異なる困り感を持った子ども達への学習の手立てが分かりやすく記されています。本人、家族、学校関係者のみならず、「近くにLDのおともだちがいるあなた」、つまり同級生の子ども達が読むことも想定して作られているので、とても読みやすいです(小学生でも目を通せる内容)。


本人、先生、クラスメイト各々の立場から、「あの時、各人はこう思っていた」という例示があるので、「そうか~、〇〇くんはこういう理由から授業中ああなっていたのか!」とか、「クラスメイトはこういう風に思うから、あの時、あんな風に返してきたのか」等、お互いの気持ちを理解することにも役立ちます。


「読めるけどわかっていないりなさん」や、「文字を書くのをいやがるりょうたくん」など、それぞれの登場人物が学校で抱く困り感は、実に「いる!私(ぼく)のクラスにも!」となること請け合い。こういう本が広く出回り、周りの理解とサポートが進むと、LDを持つ児童・生徒が助かるだけでなく、クラス全体に温かく優しい空気が流れ、誰にとっても雰囲気の良い、過ごしやすい教室になるだろうなぁと思わせます。お勧めです。


私が特に印象に残ったのは上記「りょうたくん」の例です。高学年でプライドも高い彼は「字が下手なことをみんなに知られたくない」ことからグループ活動に参加せず、すぐにふざけてみんなからヒンシュクを買います。この日本の小中学校で、いや世界でも…これはきっとあるある過ぎる事例ですよね。


班員からは当然の如く、何故活動に参加しないのかと責められるわけですが、それに対する彼の返答がこれまた定番。


「別に、めんどくさいから」


本ではこの台詞ですが、こうしたシチュエーションなら、他にも「やりたくねーから」とか「うるせーよ」とか悪態つくパターンもありそうです。まったくもって対話にならない、とりつく島もないというか。
それでも真面目な子なんかは、何とかやらせようと声をかけるわけですが、当事者としてはそんな「不利な勝負」の土俵にいつまでも上がってはいられないので、そそくさとその場を離れる、或いは無視する!無視はそういう子ども達にとって強力な武器ですからね。そしてよその班にいる、自分とちょっと似たような勉強についていけない子にちょっかいを出したりして、授業終わりのチャイムが鳴るまで時間を潰す…。そしてそれを遠目から眺める班員たちは、何て協調性のない奴だ、もう知らねー!放っておこーぜ!となり、相手にするのをやめる…。そんな光景が現実に、きっとどこかの現場で起きている。


ただ、この本はそこまで陰惨ではないというか、クラスがギスギスした空気になるエピソードは載っていません(笑)。ただ、「めんどくさいからやらない!」と言うりょうたくんに、「書く内容まで伝えたのに、めんどくさいって何よ?」と、女の子がちょっと怒った顔をする程度でとどめており、先生も、「書くこと自体に抵抗があるようだな」と冷静に見ているのみです(ここに出てくる先生たちはみんな冷静で分析力と対応力が凄くあります・笑)。


「字が汚いのを知られるのが恥ずかしい」とか「今やっている勉強が分からない」だから「参加したくてもできないんだよ」…なんて台詞は、口が裂けても言いません。言えません。仮に先生が「できないことは恥ずかしいことじゃないよ?それより、それを隠して、ますます何もできないまま大きくなる方が、後からとても困るじゃないか?」と正論過ぎる正論を述べたとしても、その子の立場からすると「今」「この時」の自分を守ることが最優先なのであり、そのことに必死であり、「先のこと」なんて想像もできない。


というわけで、この本では「書くことの大事さ」とか「できるようになった時の喜び」とか、そういうことを子どもには一切説明しません。ただ「今のその子ができること」に注目し、そこから、「自然と」書く作業ができるような課題を与え、本人に自信を持たせる作戦をとります。
りょうたくんの事例では、彼は車が大好きだったので、車の工場見学へ行くための計画表づくりを手伝ってもらったり、車ができるまでの工程表を書いてもらって、同級生からそんな難しいことが書けるんだ!?と評価してもらう機会を作ったりしていました。


また、「書くこと」が目標でない時はタブレット使用を認めたり、板書も、あらかじめノートに書いてもらう内容をプリントして渡し、ノートに写す際は重要なポイントのみでよしとするなど、書く負担を減らしてあげる等の提案もありました。……これを読み、ふと昔の思い出が……。以前、学校の先生に、この本が提案したのと同様、板書内容をあらかじめプリントして生徒へ渡す支援があると紹介したことがあるのですが、ひとりの先生は「〝そんなこと〟毎回いちいちできるわけがないでしょ?」と若干お怒りになり、ひとりの先生は「〝それくらいのこと〟で生徒の負担が減るなら全然やれます!」と喜ばれたことがありまして…。本当に申し訳ないながら、「運命の分かれ道だな…」としみじみ思いました。これをやってくれる先生に当たった生徒と、当たらなかった生徒とでは、明らかに学習姿勢に違いが出るのではないかと。勿論、先生の負担は大きいですし、絶対に頼める事柄ではありません。私は自分の教員時代は、授業前に必ずその日の板書モデルをノートに作って持っていたので、それをコピーするだけの何が大変なんだ??と思っていたのですが、誰しもが板書例を作っているわけではないということは、新人時代の途中で気がつきました(自分の当たり前が全然当たり前じゃなかった。しかし板書例作らないで授業する先生、むしろスゴイな!?)。
無論、そういう支援をしなくても、先生に生徒が興味をひくような話術があり、引きつける授業ができて、書くことは疎かにさせがちだけど、知識をつけさせている!というパターンもあるのかも…そうも思います。でも、やはり「書くこと」から逃れられない今の学校教育で、その作業を避け続けなければならない状況にいる子どものしんどさたるや…。授業に参加できていない、という気持ちを持ちながら平気なフリして、めんどくせーからやらねー!と言わざるを得ないとしたら…教える側は常に何らかの工夫は試していく必要があるのではないかと思います。


ところで私も昔、何としても書かない!嫌だ!めんどう!と強硬に主張する子と、この本が紹介したような「本人が興味ある調べ物学習」から「書く機会を作る」というのに挑戦したことがあります。
結果、本人は大変喜んで、インターネットや資料を使ってその対象について詳しく調べ、分かりやすく項目別に分けたりして、とっても良いレポートを作りました。
……が、その時は一切、やはり書くことはしませんでした…。
先生が書いて!俺は書かない!俺が言ったことを書いて!頑として書きません。……鉛筆を持つことが嫌ならと、パソコンで入力するのもありにしたのですが、如何せん、パソコン入力もスムーズにできないからイライラして挫折(笑)。書く練習をさせたいがために始めた調べ物学習だったのに、何で私が言われたことをそのままカタカタパソコンで打っているのだ…?という、疑問を持ちつつ、延々その作業に付き合う…、それは自分的に「失敗」の経験となりました…が…。


それから何年かして、「ああ、あれも無駄じゃなかったのかな」と思えるようになりました。何故なら、後に中学生にあがったその子は、相変わらず授業中のノートはほとんど取らないながら、ワークの提出やテスト等、最低限「これはやらないとまずい」というものは書くし、極端に嫌いな科目もありながら、好きなことは徹底的に調べ上げ、納得いくまで本を読んだりする子に成長したからです。恐らくあの時やった「調べ物学習」は楽しい思い出として本人の中に確実に残ったし、「こういうのも立派な勉強なんだ」「それができた」とある種の自信にも繋がったのではないかと…教えた側としては、ポジティブに捉えています(笑)。


ですから、仮に本などを参考に、その時やってみた手立てが「うまくいかなかったかな」と思ったとしても、「実は活かされていた」ということもあるので、学校の先生もご自分に合った、ご自分なりのペースででき得る支援を模索して頂けたらなぁ…と生意気ながら思います。勿論、ご家庭でもできることはあるので、保護者の方も。


そういうのにはもうくたくたで疲れました…外部機関にお任せしたいですという場合は、是非「わたる」へお越し下さい。お子さんに合った学習の手立てを考え、サポート致します。


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