習い事のはなし
…今年は去年よりなるべく多くブログを書く…などと言っておいて、すでに1月からこのペース…。
い、いえ、まだ今年は始まったばかり。最終的に1年間のトータルで昨年の記事数を上回れば良いのだ!…と、誰にともなく言い訳しております。
いろいろ書きたいことはあるような気もしつつ、頭の大部分を占めるのは、例の「コ」がつくことだったりで、しかしそれはテーマにしたくないしな~と考えた結果、「習い事」の話でもしようかと思います。
今を遡ることン十年前…(敢えてぼかす)。ごん塾長は子どもの頃、ピアノと絵画教室に通っておりました。本当は上のきょうだいがやっているような英語とか野球をやりたかったのですが、「女の子」というワードが、それらのものを縁遠くさせる…。ン十年前とは、そういう時代であったかと思います。
あ、現代でも、「女の子らしさ」「男の子らしさ」に苦しめられている人はたくさんいますよね。昔だけの問題ではないのかも? ただ、何とな~く、今よりは「女の子が野球なんて!」「男の子がピアノって珍しい!」みたいな雰囲気はあったように思います。
でもね、その当時にも、ごん塾長と同じ年齢、ちょうど同時期にそのピアノ教室に入ってきた男の子がおりまして。ピアノって個人レッスンですから、普段、他の会員さんと会うことはなく、発表会の時に初めて、「こんなに生徒がいたのか~」と驚いたりしたものですが。
その男の子のことだけは、先生から折に触れ「ごんさんのライバルね!」と言われて知っていたのでした(顔は知らない)。
何でライバルかというと、先にも書きましたように、同じ学年で、同じ時期に入会したからという、ただそれだけです。
ほどなくして、格差は広がりました…恐ろしいほどに。習っていたピアノ教室では、最初に先生が指定した教本、いわゆる練習曲がたくさん載っている楽譜を渡されるのですが、ごん塾長、これが全然先へ進めない!行くたび、「ここがダメ、あそこがダメ、不合格!」との烙印を押され、次の週も、また次の週も、毎回同じ曲を弾くばかり。
かたや、同時期に入ったライバル君とやらは、どんどん合格し、その1冊目の教本を早々と終わらせ、次々と技術を磨いていきます。繰り返しますが、ライバルとか言われても全くピンときません。発表会でようやく遠目に見る程度、しかもプログラム前半に小さい子らと共に演奏するごん塾長とは違い、上手い人ばかりが勢揃いする「栄光の後半」に名前が載っているライバルです。ただただ、すげーなー、どこがライバルやねんとしか言いようがない、そんな間柄(そして一度も言葉を交わすことはなかった…)。
で、ごん塾長、良い年になった大人になっても、未だ「ピアノ」という単語を聴くと、グサッと胸が痛むんです。なぜって、本当に、怖かったから。何がって先生が…。毎週それはそれは激しく怒られまして、何故出来ないの?どうして練習してこないの!?…一向に技術向上しない生徒を前に、先生も焦っていたのでしょう。……まぁ今思うと、先生はかなりヒステリックな部類の御方ではなかったかと思うわけですが、そんな怒鳴られまくっている横で楽しくピアノなんて弾けませんよ。ビクビクしながら弾いているから余計うまくなんて弾けない、つまらないからますます練習しない、そして翌週も怒鳴られるエンドレス(笑)。
ところで、この地獄のようなお教室、親がやめさせてくれないもので、8年くらいやっていたわけですが(その間、何度も辞めたい~辞めたい~言っていた)、ある時、転機が訪れました。
何って、このおっそろしい先生のご結婚が決まり、先生は遠方へお引っ越しされることになったのです。もちろん、ピアノ教室を続けることはできません。
みんなが「先生~残念~もっと先生の下でピアノを続けたかった~」と(多分)惜しみまくる中、恐らくダントツ満面の笑みで「先生!おめでとうございます!」と祝意を述べるごん塾長(ヲイ)。
それで、不思議なのですけれど、結婚が決まってからの先生、ものすごく優しくなったんですよ。もうすぐお別れだし、厳しくしても仕方がないと思ったのかもしれないですね。明らかに態度が変わったのです。
そんなわけでごん塾長、先生とのお別れが決まってからの数ヶ月は、それはそれは楽しくピアノを弾くことができました。心に余裕ができたとでも言うのでしょうか、何せ下手に弾いても怒鳴られなくなった。これは大きい。
先生からも「すごい成長、曲に気持ちをのせられるようになっている!感情が伝わるよ!」な~んて誉め言葉も貰ったくらいです(つまり今までは死に体で弾いていた・爆)。
いや~、楽しく取り組める音楽って、何て素敵なものなのでしょうか。
楽しくやるから先生もより優しくなってニコニコするし、そうなるとごん塾長もますます余裕をもってピアノを弾けるから技術も上がり、また誉められてモチベーションも上がる。
どうですか?いかに頭ごなしに叱り飛ばす教育が非効率的であることか…!
と、もしかするとこの経験は、ごん塾長の中に「教育とは」の根っこの部分というか、確固としたものが芽生えるきっかけとなったかもしれません。
それはそれとして、未だに「ピアノ」にグサッとくるのは、それだけ何年も与えられた傷が深かったというのと(笑)、結局、あれだけ長く習っても大してうまくならなかったことへの引け目があるのかもしれません。
ただ、長く続けて良かったことに、時々気まぐれに「弾きたいな」と思うと、何曲か弾ける曲があるのが嬉しい、というのがありますね。
何事も積み重ねたことにムダはないということで。
あ、先生にはいろいろな意味で感謝しています(笑)。