小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

遊びは安心

今日も元気に、開業したばかりの学習塾「わたる」で掃除に勤しむ私なのですが…。
自分の部屋はどんなに汚くても平気なのに、「わたる」は常にきれいにしておきたい!という、この欲求!!(当たり前)


別に新築の建物をお借りしているわけでもなく、前の店舗さんが残して行って下さったものなど引き継いでいる備品もあるので、どこもかしこもピッカピカ!とかではないのですが、自分的にはピカピカに見える。すでにこの場に対して、独り勝手に愛着がわいている。


それで、その愛着のわいた場所を掃除していると、「そうだよ!ホームページに、この教室の写真を載せないと、どんな所かイメージもつきにくいのでは!?」という、ごく当たり前の結論に行き着きます。今はサイトをお借りしている所が提供する写真素材を使用しているだけなので、全く関係ない自転車の写真なども載っている(我ながらこのチョイス、意味不明過ぎます…)。


しかし「センスよく」写真撮ってホームページに載せるって…、口で言うのはたやすいけれど、ド素人サイト作成者にサラッとできる所業ではないのですよ…。今の仕様だって分からないことが多くて質問メールを送りまくっているのに。(※注意※だからって、「当社にお任せいただければ、理想的なホームページを…!」とかって営業に来ないで下さい、その手の会社様。平に平にお願い致します。)
というわけで(?)、とりあえずホームページの改良が、直近野望の第1位。


ところで、とても狭い「わたる」ですが、教室内には「休憩スペース」があります。基本的に靴のまま闊歩してもらう教室ですが、そこだけは靴を脱いでもらいます。
カーペットが敷いてあるそこには、クッションが何個か置いてあり、子どもがひとりふたり、3人くらいまでなら、ごろんと横になれるかな?あとはちょっとした遊びもの(UNOやジェンガ、けん玉等)があったり、柔らかいボールに、おもちゃのバスケットゴールもあるので、休憩時間にはそこで好きな遊びをしてもらえたらと考えています。


あくまでも5~15分くらいの間でできるゲームしか置いていないので、プレステやDSに慣れたお子さんには一見退屈なおもちゃかと思うのですが、ゲームマニアの私が「誰かと一緒にやるならDSやプレステより断然楽しい」ものをこだわって選び、置いているので、いろいろ試してもらえるのが楽しみです。


で、このスペースを作る時に凄く思い出した子がいまして。もう何年も前なのですが、私が働いていた某教育機関で、「とにかく勉強したくない」という低学年の男の子がいました。別に来たくて来たわけじゃない、お母さんが行けって言ったから来てやったんだ!みたいな俺様くん。しかしここは勉強するところだからと、やるものを並べて見せたところ、それをすご~く離れたところから眺めて(絶対に近づきはしない…彼にとって勉強は爆弾みたいなものだから)、ぱっと見で「自分にもできそうだな」と思えたものはササッとやって、「こんなの余裕だぜ、俺天才だから!」と得意顔(可愛い・笑)。


しかし、それによってじゃあどんどんやっていこう!という「波」には決して乗らない。それよりも難しい、少しでもできなさそうな課題と思うと瞬時に放棄して、つまんねーやりたくねーの連呼。これはそんなに難しくないよ?ということを説明しようとしても、「うるせー、死ね!死ね!」の連呼。何なら、「俺にこんなつらいことをさせようとするお前!敵認定!」と攻撃もしてきます。そして、私が口を閉じるまで「死ね」を連呼し続けるのです。最も破壊的で威力のある言葉、人をたちまち黙らせる効果のある魔法の言葉だと、きっとどこかで感じ取った場面があったのでしょうね。だからその単語を多用する。


ただ、言われる方は、こりゃきつい!(まぁ前の日記に書いた「死ね」連呼の子よりは断然きつくないです・笑)
別に怒っていないし、そんなにもやりたくないことを強要する気もなく、こちらはただただ「話したい」だけなのに、全く聞く耳を持ってくれない、ように見える。実はそんなことはないのですが。
恐らく大人、特に「先生という人種」から発せられる言葉は、「お説教」か、自分にとっては「意味の分からない言葉の羅列」という印象が強烈にすり込まれているのでしょう。だから聞けない、聞くのは怖い、聞いている時もあるけれど、「やっぱり分からない」で、途中で聞くのを諦めてしまう。その子の特性もあると思います。あとは、話す方(私)のスキルの低さ。


ところが目をつり上げながら「死ね」を連呼するその子が、凄く柔らかく優しげな目も持っていて、それを見られる時が何をかくそう、「一緒に遊ぶ時間」でした。最初はルールも守らないし、俺様勝手に遊ぶだけ、どんな卑怯な手を使っても俺が勝つ!という辟易する遊びばかりだったのですが…、やっぱりそういう「むちゃくちゃなこと」って永遠に続かないんですよね。段々と、お互いが楽しく遊べる形に変化する(時間はかかりますが)。


学校現場だと、先生にはめちゃくちゃ反抗するのに、友達には至って普通の態度で仲良く遊んでいる、なんて子がいますよね。それって、一緒に遊ぶ友達からは、怒られたり、訳の分からない話をされるのではという「構え」が不要だからでは?と思うのです。友達とは安心して、ゆとりを持って接せられる。そう、必死に死ねを連呼するなんて、明らか切羽詰まっていますよ。ゆとりなんて全くない。……つまり、もし友達からも「怒られてばかりいる」「分からない話ばかりされる」経験をし続けたら、友達にもギスギスした態度になるのかもしれません。
でも、そうやって攻撃的になったり、強行に人の話を聞こうとしないのも、結局はこれまでに「できない」を実感させられたことによって被ってきたダメージ(心の傷)をこれ以上受けたくないから、ではないでしょうか。
だから、ダメージを受けない「遊び」の中で、ゆっくりと人との関係性を作ることも、とても大切なことではないかと思うのです。それも「勉強」ですしね。ゆとりの中で「楽しい」経験ができたら、仮にその遊びの相手が「大嫌いな先生」でもその関係性は変わっていくし、その子の「こいつはきっと俺に嫌なことばかり言ってくる」な気持ちも薄らいでくるのでは…と、その子との遊びを通じて感じました。


でも結局、そこでの目的はあくまでも「勉強すること」だったので、お母様はとても理解のある良い方だったのですが、もっと厳しく怖い先生がいる塾で鍛え直させますと辞めて行かれてしまいました。そりゃそうですよね。勉強させるってことでお預かりしたのに、勉強半分、遊び半分って割合でしたから。…因みに私は、理不尽なことを言う子とは普通に喧嘩もするので、その子とも大分大人げないやり合いをしましたが、辞めると決まった日に早くやってきたその子が、黙ったままいきなりぎゅっと抱きついてきた時はグッときました。私も別れるのが辛いよと…お互い意地っ張りで直接は言わなかったけど(笑)。今頃どうしているかなぁ、良い成績取って自信つけてくれているといいな。


「わたる」も「勉強するところ」には違いないのですが、この遊びスペースで今度はどんな子とどんなやりあいを展開できるのか、楽しみにしています。


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