親友のこと
今日は私の親友Aの話をしようと思います。
今月12月はAの誕生月です。この時期になると、あぁもうすぐ誕生日だな…と思うのですが、同学年であるはずのAと私の年齢は、月日を経るごとに開いています。もう私の方が大分年上になってしまいました。
Aとは中学の頃に知り合ったのですが、当時の私は人間不信、教師不信がとにかく酷く、反抗的で扱いづらい生徒でした。先生からしてみたら、本当に嫌な奴だったと思います。何かにつけてツンケンしていたし、敵意を隠さなかったし、実際先生たちが「大嫌い」だったのですから。
勿論、私なりの正当な理由があって毛嫌い&反抗していたのですが、大人でも我慢できないむかつく生徒だったらしく(笑)、テストの点数と成績が合致しないことも…。これはどこの学校にも多少なりあることなのか、いや実際あったらダメですが(汗)、少なくとも私がいた学校では「そういうこと」が割とあからさまにあって、それを皆が承知していました。例えば、「運動部に入れば、そこの顧問をしている先生の教科では好成績を取れるが、逆に退部すると一気に評価が下がる」というようなことも…。
このようなことが暗黙の了解的に存在していると、別段、差別をしていない先生も「全部ひっくるめて嫌い!」になるのが十代です(え)。
中には良い先生も間違いなくいたのですよ。ですが当時の私は、「この学校の先生はみんな悪!」くらいの勢いで嫌っていました。若さ故に…笑。皆さんの周りにこのようなお子さんはいらっしゃいませんか。「これが悪だったらみんな悪!」「白か!黒か!」みたいな…。私は往々にして、そのような傾向のある子どもだったのです。
「馬鹿だな、どんなにむかつく嫌な奴でも、適当におべんちゃら使って気に入られていた方が得じゃん」
同級生から、そういう言葉を投げかけられたこともあります。ですが、私にはそういう器用な真似はできなかったのです。
そしてそんな厄介な性格のせいで、中学校では(一部の)先生方に嫌われるのみならず、酷いいじめを受けることにもなります。
ある時、クラスで幅を利かせていた、いわゆる「ヤンチャ」な男子グループの一人と、私はもめ事を起こしました。どんなもめ事かと言うと、その男子生徒が今で言う「ヘイト発言」をしたことに対して、「スゴイ差別主義者だね」という一言が、ふっと口をついて出たわけです。「人としてかなりあり得ないよ」みたいなことも言ったと記憶しています。
そこから苛烈ないじめが始まったのでした(笑)。←笑いではない
本人は恐らく何の気なしに叩いた軽口。それを、私が真顔で冷たく糾弾したことで、かなり腹が立ったようです。以降、執拗な絡みが…。大勢で遠くからでも罵声を浴びせてくることはしょっちゅう。バッドで叩かれる、授業始まりに自席に戻ると「死ね」という言葉と共に花瓶に生けた花が置いてある…お葬式かい。それを見てショックを受ける私に、またケラケラと笑う複数の声(※授業中です)。
いやいやしかし、勿論、このいじめが理不尽に過ぎることは、大勢が分かっていました。クラスメイトにも、「あいつらはやりすぎだ」「勝手なことばかりやってむかつく」と忌避する人もいて、私も、一部の人から同情されていることは分かっていました。
しかし、だからといって黙認されていたら、当時の私にとっては「皆が敵」なわけです。普段はつるんでいる仲良しグループの友人達ですら、連中が私に絡み出すと遠巻きに眺めたり、「言い返さなければ良かったんだよ」と責めてきたり。はなから嫌われていた担任教師からも、「あなたにもそうされる責任がある」と言われ、何なら彼らが私を嘲笑している時、その教師も一緒に笑っていました。こ、これは…当然のごとく、メラリと恨みの炎が燃え上がる展開です(笑)。←笑いではない
そう、笑いも交えて書いていますが、当時は本当に辛かったです。私も意地っ張りなもので、絶対に人前で泣いたり、くじけているところは見せないわけですが、家ではわんわん泣いていました。引っ越したかったし、学校が燃えればいいと思っていましたし。孤独。
いじめのきっかけとなった「ヘイト発言を咎めた」ことに対しても、当初「私は間違っていない」と頑なになっていましたが、「すぐムキになるのがいけない」「スルーすれば良かった」と逆に周りから責められたことで、「余計なことを言ったのか」という自問は常にすることとなりました。
今後、不当な差別を公言する人を目の当たりにした場合、自分に被害が来ないようスルーするか?それとも「悪いことだ」と言うか?
これに対して一定の回答をくれたのが、私の親友Aでした。
私は内心で「表向き」仲良しグループの皆を恨めしく思っていましたが、一方で「仕方がない」と納得もしていました。当時、いじめグループは相当に怖い存在でした。一歩間違えたら自分も同じ目に遭います。何せお葬式あげられちゃうくらいですから。
ところがAは、ある日「いい加減にしろ!」と叫んだのです。
「最低なんだよ、あんたらは!!」
Aは背が低くて痩せ型、いつもおとなしくて、人に怒鳴ったりするようなタイプではありません。とても心優しく、誰かと表立って争うことを好むタイプでもありません。実際、その後の人生を見てもそうです。穏やかで、寛容で。時に理不尽な目に遭っても、私のように怨念を燃やすタイプでもなければ、ケンカ腰で立ち向かって余計火種を大きくする愚かなことも決してしません。
そんな人間が突然怒ったのですから、最初は相手も相当戸惑ったようでした。
しかしその直後、当然のことながらバット叩きの刑です…。私とAは一緒になって奴らのリーダー格に暴力をふるわれました。
私はAに対し申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、同時に……凄く嬉しかった。思えば私が徹底的な人間不信に陥らずに済んだのは、明らかにAの存在があったればこそです。
「ごんちゃんが辛い目に遭っているのを見ているのがもう耐えられなかった。むしろ今まで何もできなくてごめん」
Aはそう言いました。自分だけが苦しいのかと思っていたら違った。Aも悩んでくれていたのです。
その時、もしAに何かあった時は自分も絶対に助ける、そう決意しました。「親友」という言葉の意味を初めて理解したのもこの時だったと思います。そして、「これはおかしい」と思ったことに目を瞑らず、毅然として立ち向かったAを「めちゃめちゃカッコイイ」と尊敬もしました。
それからAとは進路も別々になり、引っ越しもあったりで物理的な距離は広がりましたが、大人になってからも一緒に旅行したり、お酒を飲んだり、仕事の愚痴を言い合ったり。「一生の付き合い」が続きました。
こんな素敵な相手を得られた、という意味では、私はあのいじめリーダーのことを、ほんのちょっとだけ「許してやってもいい」と思ったり…。あ、基本的には、「あの野郎~よくも~!」と未だ怨念を燃やしていますけれども。しかしこんな風に茶化して言えるのも、Aのお陰です。
…ちなみに、いじめリーダーは、周りに沢山の子分をはべらせていても、本当の友だちは1人もいない感じでした。クラスの人々だけでなく、子分達からも陰で悪口を言われていましたし、後から、家族仲も良くないと知り…。彼にも彼なりの闇があったのでしょう。
人の一生はあっという間で、Aは突然の病気で私より先に逝ってしまいましたが、今でも勿論、Aは私の大切な親友です。Aにも「わたる」を立ち上げたところを見てもらいたかったなとしょっちゅう思いますし、今月は特にそう思いますね。