人それぞれの難しさ
私はゲームが大好きなのですが、基本的には、自分をアナログ人間だと思っていまして、日々変化する現代機器の進歩にはなかなかについていけないものを感じています…。
頑なにガラケーにしていたものをスマホにする時も。
頑なに「あんなもの、人類にとって不要だー!」と叫んでいたLINEを始める時も。
それはそれは相当な抵抗の後、必要に迫られて始めたのですが…。今でも完璧には使いこなせないながら、「べ、便利じゃないか…ふふ…」と認め、重宝している自分がいて、少し悔しいです(どんな意地)。
しかしそんな中、Twitterの恩恵には大分前から預かっていまして、同じ趣味の人、可愛いペットを飼っている人、著名人のアカウント等、そのツイート全てを追うことはできないまでも、フォローさせてもらっては、都度、楽しませてもらうことが多いです。
で、この間そのツイッターで、かなりの数リツイートされている文章が回ってきたので拝見したのですが、思わず唸りました。
それはある女子中学生の親戚か身内の方か、とにかくその子の知り合いの呟きだったのですが、先日、その女の子が、自分の学校へ新しく赴任してきた英語の女性教諭に親しみを込めて、「先生は小顔で可愛いね」と話しかけたら、その先生から注意されたと言うのです。
先生が言うには、「人にそんなことを言うものではありません」と…。
少し前の話なので、若干シチュエーションに違いがあるかもしれませんが、とりあえずそんな内容でした。女の子としては、その若い女の先生を本当に可愛いと思ったから「誉めた」わけで、それでなぜ注意されるのか分からない、納得いかんぜ!と食い下がったそうです(偉い・笑)。
すると先生は、「人の容姿について言及するのはマナー違反です」と丁寧に説明してくれたらしく。うーむ、何て素敵なやりとりなんだ~。
つまり、「小顔」だから「可愛い」というのは、その女子中学生の価値観ではそうだし、もしかすると大半の人にとっての認識もそうかもしれないけれど、人によっては「顔が小さい」ことを気にする可能性もある。そもそも「可愛い」というのも、「一般的には」誉め言葉かもしれないけれど、言われた当人は「童顔がコンプレックス」かもしれない。自分は誉めたつもりでも、人によってはそれが傷つく言葉となり得る、だから「見た目」については、よりナーバスにならなければ…。よって堂々と、ましてや初対面の人に外見のことは言うものではない…というのが、この場合、その先生の価値観だったのでしょう(もしくは、その先生の国の文化?いやそれを言うなら、昔の日本人も人の容姿についてどうこう言うなっていうのはあったかも…)。
「その服、素敵だね」とか、「おしゃれだね」とか。「髪型変えたの、いい感じだね」とか。気心の知れた友人や近所の人、職場の同僚さんなんかには、ちょっとした変化を「誉める」って素敵なことじゃないかと個人的には思います。それは私の価値観です。…あんまりそればっかり言われるのも嫌ですけどね(笑)、なーんにも言われないのも、それはそれできっと寂しい。そこらへんは、相手との親密度にもよるかもしれません。
今回のパターンでは、出会ったばかりの先生と仲良くなりたくて、親しみを込めて誉めたつもりの女子中学生さんには驚きの経験だったかもしれませんが、すごく大切なことを学んだ気もしますよね。「人の傷つくことは言わない」―…これって当たり前のようでいて、なかなかに難しいことだと思うのですが、「自分は誉めたつもりでも、相手にとってはそうでない場合もある」という、それそのものを知るだけでも、とても貴重な経験のように思えます。
考えてみると、「痩せてるねー!」って、私にしてみたら、一度は言われてみたい賞賛の台詞ですが、痩せていることをとても気にしている人、病気などで太りたくても太れない人にしてみたら、やっぱりその言葉は誉め言葉ではないでしょう。背が高いことなんかも、「私」はうらやましいけれど、それを引け目に感じている人もいるかもしれない。そうなると、確かに外見のことを、それも初対面の人に、お近づきのために「誉める」としたら、それは結構危うげなコミュニケーションの取り方、といえるのかもしれません。
自分も悪気なく言ったことが失敗に繋がったりするし、逆に相手からそうされることもあります。人間関係って難しい~。でも、だからこそ面白いところもある。子どもたちと接する時には、ひとつひとつの対話も大事にしていきたいなぁとは、常日頃思うことです。