笑わない子
そういえば、前のブログで「何としても笑わない子」の話に触れ、そのままになっていました。その子は少しのんびり屋で、勉強の中では特に国語が苦手で、もう大分前の話にはなりますが、私は彼に作文の書き方や算数の文章題などを教えていました。
仮に、太陽くんとします。
太陽くんは子どもにしてはとても落ち着いていてクール…と言ったら聞こえは良いですが、当時の不勉強な私からしたら、「人としての感情をどこかに置いてきた?」という、大変失礼な印象を持ってしまう、いわゆる「損しそう」なタイプの子でした。大人にしろ子どもにしろ、「笑顔」を武器にできる人間は強い…。とりあえず、屈託なく笑えるというだけで、第一印象は良いですし、大抵の相手に好感を抱かせることができますからね(空気読めずに、不相応な場でも笑っていたらダメだけど)。
しかし、こちらが何を言っても、太陽くんは「別に」とか「何もない」とか。とにかく、どんな事象に対しても「感想」というものがなかなか出てこない。太陽くんは人並にクラスで流行っているゲームや遊びには敏感で、最新のゲーム機やソフトも持っていたし、人気の映画なども友人たちと出かけていくような、決して人づきあいの悪い子ではなかったので、この間の休日はどこそこへ行ったとか、~をしたといった話は(半ば無理矢理ながらでも)聞き出せました。←すぐ会話したがるウザいおばちゃん的なノリが、当時の私には往々にしてあったのです…今もあるかも(汗)。単に喋るのが面倒だから素っ気ないだけかもしれないのに。
ただ、こちらとしては、いきなり勉強を始めるのも何なんで、他愛のないちょっとした雑談をするつもりで、「へ~。で、どうだった?」とかって訊くわけです。
でも、それに対する反応が「別に」とか「どうもない」とか。
「楽しくなかったの?」と再度問い直すと、「いや」とは言うものの、「うん、まあ楽しかったよ」とすら言ってくれない。何だろうこの硬さは…と、対面する私は戸惑うわけですが、いずれにしろ「会話」というものが成り立たないので、顔をつきあわす時はいつも私がひとりで喋りまくり、出してみる課題にしても、「ね?面白いでしょこれ!?」と無理矢理「面白い」と言わせようとしたり(ヲイ)。…手を変え、品を変え、何とか太陽くんからポジティブな台詞を言わせようと、当時の私は躍起になっておりました。
ちなみに、太陽くんの作文の苦手さは、そうした「感想」、「自分の想いを表出することの苦手さ」が第一にあったため、作文指導の際によく問題視される語彙力に引っかかりは感じませんでした。「年齢相応の言葉を知らない」部分も少なからずあったものの、それが彼の硬さの原因かというと、どうもそういう感じはしない。…ぶっちゃけ、「性格」と一言で片付けてしまって良い類のものかも…とも思いました。それでも、太陽くんの淡々とした「2~3語しか出てこない口」から、何とか「長い言葉を話させたい!」という、私の勝手過ぎるエゴは暫くの間、続いたわけです。
そんなある日、とても驚いた出来事がありました。
その前日、私はあるショックな目に遭っていまして…。他人様からしたら大変くだらないことなのですが、よく行くお店に、いつも快活に挨拶をしてくれる、実に感じのイイお兄さんがいたのです。で、そのお兄さんが、その時に限って何故かとてもぶっきらぼうで、全然気の良い挨拶をしてくれない。というか、いっそ無視(汗)?
そして、それが何故だろう…?と考えた時―…、あぁッ!?いつもそのお店へ寄る時は、凄く可愛い友人も一緒だったけど、今日はその子がいない!それだーっ!!
何たること、このお兄さんはいつも「私に」気のイイ態度を向けていたと思っていたけれど、そうではなく、可愛いあの子に「だけ」笑顔を向けていたのだ!…何と恐ろしく残酷な事実でしょう。←可哀想過ぎる
多少そのことを引きずっていた(大人げない)私は、太陽くんとの勉強前の雑談時に、そのことを話して聞かせました。
本当にショックだったこと、結局、人間は見た目が命なんだよ…だから太陽くんも、身だしなみとかには気を配って、男を磨いた方がいいよ…等々。全く大きなお世話だ、お前がまずそれをやらんかい!というような、グチグチな雑談です(笑)。
一方で、教育者たる私は(こんなんで?)、心密かに「これは結構おいしいネタかもしれない」という想いも多少なり持っていました。他人事なら割と面白いオチだし、太陽くんは笑ってくれるかもしれない!と思ったのです。だって何を言っても、どんな(自分的に)面白い話をしても、これまで笑ってくれたことはなかったし、「この話、面白いでしょ?」と無理矢理聞いても、「別に」しか返してくれない子でしたから。
この話を聞いた太陽くんは、やはりぴくりとも笑いませんでした。
そして暫し黙った後、ぽつりと「感想」を述べたのです。
「でもさ…。その人は、昨日は、たまたま気分が悪かっただけかもしれないよ」
「…え?」
「別にごん先生のことが嫌いとか、そういう悪い意味はなかったかもしれない。それは分からないじゃん。また行ってみたら、いつもと同じかもしれない」
こ、これは…!?
私はびっくりしました。もう腹立ちまくっていたお兄さんのことなんて超どうでもいいと思いました、むしろこのネタをくれたお兄さん、ありがとう!と感謝したくらいです。
「本当にそう思うからそう言った」にしろ、落ち込んだと話した私に対して「フォローのつもりで慰めてみた」にしろ、どちらにしたって感動的な返しをされたことに変わりはありません。
前者であれば、相手のその場の態度だけでその人を判断しない、太陽くんの素晴らしい人となりに感動ですし、後者であれば、相手を思いやった発言ができる彼に、これまた涙が止まらないわけです(泣きませんでしたが…笑)。
そして何故かそれ以降…不思議なのですが、太陽くんの態度は見るに明らか変わっていきました。何が変わったって、まず「私という他人」に対して興味を示すようになったのです。
以前であれば、私が一方的に休みの過ごし方を聞いたり、流行りものの話を聞き出そうとしていたのが、今度は逆に、太陽くんが私の趣味を訊ねたり、休みに何をしているのか?等の質問をするようになったのです。
そして大して面白くもない私のギャグにも、「ここはちょっとでも笑ってあげるところ」を察して、ふっと笑むようにもなったのです。
この変化の明確な理由は分かりませんが、少なくともあのエピソードがあってから、太陽くんは私を「ひと」と見なしてくれたような気がします。そう、うまくは言えないのですが、「先生」から、それ以前に「一人の人間」と見なしたような?そんな感覚でしょうか。
無理矢理話しかけ続ける、働きかけ続けることが決して良いことだとは思わないのですが(むしろ思春期の少年にこれをやり過ぎるのはリスクが高い)、「あの子は全然喋らないし冷たい」なんて思い込みだけでコミュニケーションを諦めてしまうと、対する大人の方が損をしてしまうことがあるかも…というお話でした。