小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

授業中の飲食は自由?

先日、有名な劇作家さんが、オーディションに来た子ども達が水筒を持参しているのに全く水を飲もうとしないので、飲んでいいよと言ったら一斉に飲み出したと。
で、まさか学校でも、先生が飲んでいいよって言わないと飲まないの?と聞いたところ、全員が頷いたと。
この出来事に対し、その演出家さんは、「身体の声に従わず教師の声に従う。これが教育なのかと暗澹たる気持ちになる」とツイートされていて、それに対する反応も、ざっと拝見した限りでは、そうですよね~、指示出しがないと水も飲まないなんてどうなってんだ~、でも公教育って指示通りに動く子が良い子とされているから~…というような、現代学校教育のあり方を嘆く意見が多く、個人的には「えぇ~」と戸惑ってしまいました。


何故って、「そりゃ、オーディション中だから飲まなかっただけでは?」と、私は思ってしまってですね…。


恐らくそこは、有名演出家が手がける舞台の、出演者を選ぶ大事な場面。
子どもとは言え、ライバルとの競争に「勝ち抜きたい!」という気持ちは、就活中の大学生や、会社で出世したい大人と何ら変わることはないはずです。そんな緊張場面で、これからパフォーマンスしようって時(?)に、ひとりでゴキュゴキュ水筒の水を飲んでいたら確実に浮くし、「もしかしたら厳正な場で飲食なんて不謹慎かも?」と空気を読んだ上での判断だったのかもよ…と、私は感じたものですから。
まぁ、その空気読みがそもそも間違っていて、誰もやってなかろうが、「喉が渇いたら俺は水を飲むぜ!」ってな態度を示す方がその演出家さんの好みだったのですから、子ども達のそこでの選択は失敗ということになりますが…。


でも、就活中の学生が面接室の椅子に座って、これからさぁ選んでもらおう!って時に、例え身体が喉の渇きを訴えたからって、採用官の前で水を飲みますかね(汗)。普通は飲まないと思うんですよ…。
「この普通は」って感覚が「危険だ」ということを、その演出家先生は言いたかったのかもしれませんが。


また、もしかすると子ども達は休憩中とされる時間にも飲んでいなかったのかもしれませんね。いくら緊張しているとは言え、適度に水分補給しないとダメでしょ?そんな判断もできないの?それじゃアドリブ力も問われる演劇人としてダメじゃん?…とも、演出家さんは思われたのかも。で、その判断力のなさ(というか、遠慮しすぎな帰来)は現代の学校教育のせいなのでは?と感じられたのかもしれません。分かりませんが…。


勿論、この暑い最中、適度に水分補給することは絶対に必要です。倒れる前に飲んで欲しい。むしろ黙って我慢され続け、いきなり倒れられでもしたら、「何で言ってくれなかったの?」って絶対なる。


しかしこれって、学校でもきっとそうだと思うのです。先生だって生徒に倒れられたら困るから、休み時間以外の飲食は禁止というルールはあれど、どうしても喉が渇いた時などは「先生に一言断った上で」飲むことはOKにしているはずです。


で、ちょっとそこから考えたのですが、今ある多くの小中学校って、恐らく授業中は飲食禁止で、その時間帯にどうしても水が飲みたいと思った時は「先生の許可を得てから飲む」ことになっていると思うのですが、今回の件は、そこまで否定したわけじゃないよね?と。
それとも、水くらい、いちいち許可なんか取らず、授業中だろうが何だろうが、いつでも飲んでいいじゃないかって主張だったのかな?どっちだったのだろう?と…。


私があのツイートを拝見した時は、水くらい許可なく飲みたい時に飲むべきという印象を受けました。確かに、水分補給って命にも関わることですし。指示待ち、許可待ちに慣れ過ぎて、自分の身体の状態も分からず&判断できず…なんてことなら困る!という主張は分かる。具合が悪いのにそれを言い出せず、先生が気づいてくれるまで黙っていられたら先生も大変ですし。
しかし、身体が欲しているからと「勝手にどこででも飲み出す」ことは、これまた別問題ですよね。それを認めてしまったら教育にならないのでは…と思うのです。


この飲食の問題で言えば、大学生になったら授業中の飲み物って普通にOKですよね?
さすがに講義中「食べる」行為は「非常識」というのが一般常識かと思いますが、飲み物は自由な場合が多いと思います。講師の先生にもよるかもしれませんが、最初に断って下さる先生もいらっしゃいますよね。「自分も話していると喉が渇くから、適度に水分取らせてもらうので、皆さんもどうぞ」って。それで、机の横にペットボトルや水筒を置いている学生さんは結構います。私も、大学院での授業では、水筒を机の上に置いています。


ですが、それをいつでも好きに飲んでいるかというと、そうはならない。周りの学生さんもそうです。それは、先生が熱を入れて話をされている最中にキュッキュと水筒の蓋を開ける音を立てるなんて失礼だとか、そもそも相手を見ずに別の行為をするなんて失礼だとか、恐らくはそういった感情が働くからです。


で、この自分の中に根付いている「常識」というのは、どうやら義務教育中に培ったものなのでは?と思うんですね。
授業中に食べたり飲んだりしてはいけません。何故って、先生が一生懸命、みんなに勉強を教えてくれている時に、「違うことをする」のは「失礼」だからです。
…そんな風に、いちいち言語化されて教わった記憶はありませんが、「誰かがあなたに向けて何かを働きかけている時に、違うことをしてしまうのは失礼」というのは、恐らく子どもの頃に学んだのだろうという確信がある。何故って、私は高校の時、すでに授業中でも飲食自由な学校に在籍していましたが、最初にその校風を聞いた時はかなりの衝撃を受けました。「授業中に飲み食いOKって、何それ??」と。そう思ったのは、これまで生きてきた人生において、それを良しとする価値観を植え付けられる機会が全くなかったからです。


そして高校生の頃の私はどうしたかというと、授業中に飲食することはありませんでした。大学生になって、大教室での講義でもその選択は取りませんでした。
しかし、ゼミが始まって、討論など、自分も話したり、人の話を聞いたりという、積極的に動くことが求められる授業が入ってきた時、ごく自然に飲み物を置き、喉を潤しながら授業に参加するということを「選択して」行うようになりました。


何が言いたいかと言うと、ある程度自分で考え、選べるようになる年齢になるまで、大人が社会一般のルールを指し示してあげるのは決して悪いことではなく、むしろ必要なのではないか?ということです。
水を飲みたい、そう思ったら、まずは今授業してくれている先生にそう言いましょう。仮にそれが「言えない」となると心配ですが…、でもきっと今回の場合は、「初対面の大先生」の前で、「とても言えなかった」だけで、私は、オーディションに来ていた子ども達は、指示待ちに慣れた意思のない子などではなく、場を弁えた、常識ある子たちだったのでは…と思いました。飲んでいいよって言われるまで我慢していたなんて健気だ…むしろ、もっと早く「飲んでいいよ」って言ってあげれば良かったのに…みたいな(笑)。


余談ですが、大人の持つ常識や価値観は、もしかすると…というか、間違っている場合も往々にしてありますよね。実際に私も大人になってから「あの先生の言っていたことは明らかにおかしかった」と思ったことはあります。
ですから、私が書いているこの「授業中の飲食は非常識」という考えも、今は小中学校のスタンダードでも、もしかしたらそのうち大学化して、自由に飲むのが当たり前となるかもしれません。
でも「自由」って難しいですよ…。これについては、また別の機会に書きたいです。


ちなみに「わたる」ではどうかと言うと、「基本的に」授業中の飲食は禁止です。自習スペースを利用する際も、「勉強中」は禁止です。休み時間は飲食可で、そもそも「わたる」にお茶やお菓子が置いてあるので、ご自由にどうぞという感じです。
ただし「貰っていいですか」とひとこと断って下さいというのはお約束。約束というか、これこそ常識というか、当たり前のことと私は思っていますが、「いやいやえん」と同様、それを当たり前と知らない子のために、「わたる」の中での決まり事にしているだけです。


そして、「基本的に」と謳っている以上、例えばとても暑い日、風邪気味で喉がイガイガしている時、常なる水分補給をしないときつい時は、授業中でもOKを出すことはあります。要は、互いにとって了承がとれている、不快でない関係性の中で学習ができるならOKということです。その中で、「今大事な話をするから、その数秒だけは飲まないでこっち向いていてね」とか言いますしね。そういうやりとりの中で、「通常、人が話している時は違うことをしない方がいいんだな」といったことを感じ取ってくれるといいなぁと思っています。


今日は長くなってしまいましたね。賛否両論あるかと思いますが、自分の考えを書いてみました。


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