聞いてもらう工夫
インフルエンザも猛威を振るう中、コロナウイルスの感染拡大で戦々恐々の今日この頃…皆様は体調にお変わりありませんでしょうか。オリンピックはもとより、これから春に向けて様々なスポーツやイベントが始まりますし、一日も早い収束を願うばかりです。
さてスポーツと言えば…ごん塾長、野球が大好きです。シーズンが始まると野球一色と言っても過言ではないほど夢中になります。メジャーリーグには詳しくありませんが、日本のプロ野球は某球団の熱烈ファン!
…というわけで、複数球団で監督も務められた名捕手・野村克也氏の訃報にはとても悲しい気持ちになりました。心よりご冥福をお祈り致します。
野村監督は、ごん塾長の贔屓チームにとっては敵でしたが、あの皮肉気な口調も当事者でないと面白いというか(選手は大変だったと思います・笑)、何とも憎めない監督さんでした。打倒・巨〇!みたいなアウトロー的月見草な立ち位置もカッコ良かった。
こうした大選手が逝かれる度に落ち込んでしまうのですが、監督さんの素敵エピソードや思い出がファンの方々からたくさん語られているのを見ると、改めて「選手としてはもちろん、指導者としても凄かったんだなぁ」と実感します。
そしてその中のエピソードの一つが、これは教育業界においても非常に共通するなと思いました。監督さんなので選手を指導する、という意味では「教育」とリンクしていて当然なのですが。
どんな話かというと、野村監督がある投手の「高め(の球)」がとても良いから、「高めは狙うな」と指示を出したところ、選手たちが次々と高めに手を出して「全く打てない」ことがあったと。
「狙うなって言ってんのに【怒】」と思ったに違いないのですが、監督はここからある考えを導き出し、次からは選手達に「低めを狙え」と指示を言い変えたそうです。
すると選手たちはきちんと低めを狙ってヒットを打ち始めたと!
日本語では「高めは」→「狙うな」と言う風に、肝心の指示(言葉)は後半に来るため、耳に残りにくい。「高めは」という最初の言葉が印象づく為に、選手たちの大半は高めに意識が行ってしまい、指示とは逆のことをしてしまったのでは、と。
だから「低めを」→「狙え」という風に、仮に「狙え」を聞き漏らした(或いは印象づかなかった)としても、「低め」という言葉を耳に残すことで指示を通りやすくすることを考えた、というわけです。
要は、「指示を出す時は肯定表現で!」という、最近では学校現場でもすっかりメジャーとなった手法を野村監督は使ったわけです。
でもこれって、頭では分かっていても、実行は難しかったりするんですよね。
学校の廊下をスゴイ勢いで走っている子がいるとして、大人としては「走るな!」とまず叫んでしまうことは多々あると思うのです。
また、飲み物の入ったコップを持ちながらふらふらしていたり、全くコップに意識を向けずに違うことを話しまくっている子がいた日には、つい、「こぼさないでよ!?」と口を出してしまいたくなる、そんなご家庭も多いのでは?
この時に「指示は肯定表現で」という合い言葉(笑)が染みついてさえいれば、廊下を走っている子には「歩こうね」「一緒に行こうよ」などという声かけができます。
同様に、コップを持って立ち歩いている子には「座ろうね」「しっかり持ってね」という、ごく自然な声かけが可能かも?
しかしそれが、なかなかに難し~~~。つまり、指示を出す側の大人にも修練が求められているわけですね。けれども野村監督はそれを常に意識して、「如何に明確に自分の意思を伝えられるか」と考え、簡潔な指示出しを心がけたと…。う~ん、唸るエピソードです。
ちなみに、我が「わたる」の通りの前を、午前中の時間だとよくお散歩しにくる保育園?幼稚園の集団があるのですけど、先生たちの声かけがとってもお上手なんです。
よその事に意識が向いて、ちょっと列をはみ出てしまう子に対しても、「否定表現」(例えば「ほらほら、列からはみ出さない!」というような)は聞かないですね。「Aくん、手をつなごう!」とか、まさに先に挙げた「一緒に歩こうね」とか、そんな具合です。さすがプロ!(一応ごん塾長もプロなのですが、まだまだ修行が足りない…。)
注意欠如という特性があり、「人の話を最後まで聞くことが難しい」お子さんだと、尚のこと「指示は肯定表現で」が大切になってきます。後に大切な言葉を持っていっても、そこまで聞き取れず、聞き逃してしまう可能性が高くなりますから。
我々大人の側が気をつけて、子どもたちが聞き逃しといった失敗(と見なされる経験)をしないよう、「よく聞いてくれたね」と言えるシチュエーションを作れるよう、環境調整を心がけていくことが必要だと改めて思います。