小さな学習塾「わたる」~子ども達の自立と向き合う~

ADHDやLD、自閉症スペクトラム、アスペルガー等、生来より何らかの学びづらさを持つ子ども達の学習・生活支援を行う小さな学び舎「わたる」。その塾を経営するきつねが日々のことをぽつぽつ呟くブログです。

ゲームとおしゃべり

ブログをサボっている間に、これは書きたいなと思っていた「ネタ」のいくつかをすっかり忘れてしまいました。思いついた時にパパッとメモする!これが大事ですよね。
そこで「わたる」内に、「失敗紙」で作った簡易メモ帳とペンを置くことにしました。これで何か思いついたら、すぐさまそこに走り書きできます。


ところで先日、講談社刊の『ネット依存・ゲーム依存がよくわかる本』(樋口進 著)を読みました。依存症の話題はテレビや新聞等の媒体でも取り上げられることが本当に増えました。読ませていただいたこの本は「よくわかる」というほど詳しい記述があるわけではありませんが、「うちの子は?クラスのあの子はネット依存?」「そもそも依存症って何?」という方が読むには、入りとしてとても易しく、分かりやすいのではないかと思います。それぞれのご家庭により事情が違うため、一概にこう!とは言えないまでも、「こういう場合の対応は」などがイラストと共にわかりやすく書いてあるのでお勧めです。相談機関についても記載ありです。
今はこのコロナ自粛で、必然的に子ども達もネットやゲームをする時間が増えていると思いますので、上記のようなガイドブックをチラ見しておくのも良いかもしれません。


ところで、私が子ども達と接していてゲームのことで気になるのは、ゲームの「やり過ぎ」よりも、その「うち込み方」だったりします。
昔からゲーム好きな子にはたくさん会ってきましたが、同じゲーム好きとして、「どう考えても、君たちより私の方がゲーム好きだ!」と思うことが多いです。←


端的には、飽きるのが早い、というのが挙げられます。
この間まで〇〇をやっていたのに、気づいたら△△に移行していて、〇〇はどうした?というと、「あれはもうやめた」と。
あんなに情熱を込めて話していた(ように見えた)のに、今では「あれ」扱い…さみしい。そんな風にシュンとなる私に構うことなく、「それより今はこれ!」とイキイキ。
そりゃ~、新しいゲームって次々出てきて、新発売のこれ面白そう!やってみたい!と、乗り移りたくなる気持ちも分からないではないです…が…。
まだその前の作品をきちんとやり込んだわけでもないのに(EDすら見ていない)、もう次へ行くって、君のその作品への愛情はたったのそれっぽっちだったのか!?と問い詰めたくなってしまいます。そして実際に問い詰める私。大きなお世話過ぎますね(笑)。
…教員時代、不登校の子とそんなゲーム談義を繰り広げて、「そんな話どうでもいいから、さっさと学校へ来るよう誘いなさい」となったことがあったりなかったり…。


いえいえ、むしろそういう時だからこそ、ゲームの話をするのは大事ではないでしょうか。だってその子が生活の中で、今、最もやっていることではないですか。そこから分かることも結構あるのではないかと思うわけです。
その子は果たして、1日の大部分を消費しているそのゲームを本当にそこまで好きなのか!?それとも、実はそんなこともないのか!?…とかね。
その子が熱中できるものって何だろう?と知ることも、教える側にとっては大事です。


ゲームが本当に好きで、ある作品に心から魅了されてのめり込んでいるのなら、それはそれで素晴らしいことなんじゃなかろうか?と、個人的には思います。
もしかしたら、そのゲームとの出会いによって、自分もゲームを作りたいとか、そのゲームに出てくる好きなキャラクターの絵を描きたいとか、グッズを作ってみたいとか。
或いは、「この素晴らしい作品をもっと多くの人に知ってもらいたい!」と、周りに話してみることで、新たな出会いが得られることだってあるかもしれない。
それはゲームに限らず、本でも映画でもアニメでも何でも良いのですが、ある作品・事に惹かれて「ハマる」経験って、その子のその後の人生を豊かにしてくれる手助けになるのではないかな?と思うのです。


しかしよくよく話を聞いてみると、「本当はそこまで(ゲームというものを)好きじゃないのかな」と思うことがあります。人とのコミュニケーションがうまくいかずに引きこもってしまったケースでは、特にそう感じることが多かったです。
また、その際によく経験したのが、「話を投げる」子が多い、ということでした。
例えば、今ハマッているゲームは何?と訊ねると、最初は嬉々として話してくれます。
けれども、聞き手の私がその作品のことをよく知らないと、問題が浮上。
生徒の方は「先生も当然知っている」テイでそのゲーム内用語をバンバン使って話してきますが、私は分からないので、「いや、✕✕って何?」と訊き返します。すると、えー、何で?何でそんなところで引っかかるの!?と、話の腰を折られ、生徒はちょっとイラッ(笑)。
しかもです、ゲーム好きの私はグイグイと、それはどういう設定なの?そのキャラはどんな見た目なの?どういう系のキャラがツボなの?等、質問攻めにするので、それにうまく答えられない子は、「もういいよ、めんどくさい!」となってしまうのです。
私はこんな時、その子が話したいことだけを「ただ一方的に聴く」ということはしません。だってそれでは人と人との会話ではないですから。


ただ、こういう場合、大人である私がもっと上手なやりとりをしてあげる必要はありました。即ち、「相手が答えやすいような質問の仕方をする」ということです。当時の私はゲーム好きが高じると、どうもそれが下手くそで…(ダメ教師)。
ですが同時に、子ども達の側にも「伝えるスキル」に難があり、それを鍛える経験もなかなか持てていなかった、という問題があったのも事実です(不登校の場合はなおさら、人と話す機会自体が少ないですしね)。
この辺りにちょっとした悪循環が潜んでいる感じがしますよね。
話すのが苦手⇒「一方向ツール」である動画やゲームがラク(そればかりやる)⇒ますます人と話す機会が減る⇒苦手意識が解消されない⇒ますます引きこもりツールに走る…というような。


ですから、まずは本人が「好き」と言っていることから会話の糸口を見つけて、「楽しいやりとり(会話)」の経験を増やすのが良いと思うわけです。
故に、私はゲームをしている子とはゲームの話をしますし、その「打ち込み方(情熱)」もいつも気になります。


そして、です。「そんなにゲームが好きじゃないのかな?」と感じる子って、実は「人と話す方が好き」ってパターンが総じて多いように思うのです。
聞き下手な大人(私)が相手で、その日は「もういいよ!」となったとしても、「この人は分かってくれないから、もう二度と話さない!」となったことはない。その時はダメでも、次の機会にはまた話すことにトライしてくれる。
恐らくそれは、私が「本当に知りたい」と思って聞くからでしょう。大人の側があなたに興味を持っているよ、あなたの好きなことを知りたいよという信号を出し続ける限りは、時にイラッとされても、そこで終了にはならない。


ですから誰かと「カチッ」とかみ合って、互いに「楽しい!」と思える会話が成立したと実感できた時、子ども達は、あれほどしがみついていた(ように見えた)もの(ゲーム)でも、案外あっさり捨てるのではないかと思います。「そこそこ好き」なゲームよりも、かみ合える人と会話すること、一緒に笑い合える体験の方を率先して望むでしょうから。


何だか長くなってしまいました。
繰り返しになりますが、個人的に、「本当に」ゲーム好きな私は、好きなゲームがあって、それに全てを捧げたい!くらいの魅力を感じてのめり込めているのなら、それは素敵なこと!と言ってあげたい人です。
けれどもそうではなく、単に「何もすることがない」が故の、暇つぶしのネット・ゲームなら…、それは貴重な時間が勿体ないなぁと老婆心ながら思います。
そんな時は周りの大人が率先しておしゃべりへと誘って、それが楽しく心地よい経験となり、結果的にお話の仕方も学べる機会になると良いなぁと思いますね。


×

非ログインユーザーとして返信する